50代で大ジャンプ!世界遺産・小笠原諸島へ移住。介護士が奏でる、海辺の音楽ライフ。
小笠原村診療所・有料老人ホーム「太陽の郷」介護福祉士 太田 久美子さん
- 移住エリア
- 神奈川県→東京都小笠原村父島
- 移住年
- 2021年
「とにかく遠くへ行きたかったんです。でも、どこでもいいわけじゃなかった。島に呼ばれたんだと思っています」
本州の東京から南へ約1,000kmの太平洋上に浮かぶ、小笠原諸島の父島。世界中から旅行者が訪れる世界自然遺産の島であり、ほぼ週1便しかない船で24時間かけて行く“めったに行けない島”でもある小笠原村へ、太田久美子さんが、50代にして人生の大ジャンプを決めた理由は?
目次
音楽家から介護福祉士へ。そして開いた移住の道
「もともと私、ピアニストだったんです。音大を卒業後、シャンソン歌手の叔母について各地で演奏していました。自分で教室を持って生徒さんを教えたりもして、音楽一色の毎日を過ごしていましたね。介護職に興味を持ったのは、30代に入ってからです。相次いで両親をなくしたことがきっかけでした。介護らしい介護ができなかったという気持ちが強く残ってしまって」
プロのピアニストで介護福祉士という、異色の経歴を持つ太田久美子さん。20代は音楽家として充実した日々を送っていましたが、「音楽に向きあっていると精神的に煮詰まることがあり、“確かなものが欲しい、資格を取って働きたい”という気持ちが強くなって」介護福祉士の資格を取得。両親に対する悔いも手伝って、介護士として働くことになりました。
「音楽活動の合間に老人ホームで介護スタッフとして働いていたのですが、介護の仕事はとにかく楽しくて。あのときああすればよかった、これもできたかもしれないという、父と母にできなかったことができる感覚もありましたし、誰かの手助けができて『ありがとう』と言ってもらえることで私自身が癒される気もしました。小さい頃から年上の方に囲まれていたので、おじいちゃんおばあちゃんと接するのが好きというのもあるのかも」
音楽9・介護1のバランスで両立していた太田さんですが、コロナ禍で音楽の仕事が激減。大好きな音楽ができなくなったショックに、15年連れ添ったご主人と離婚するという辛い経験が重なり「これは人生を変える転機なのかもしれない」と感じたと話します。どこか遠い、誰も知らない場所で新しい一歩を踏み出したい…。生まれ育った神奈川県から出たことがなかった彼女が、地方移住へ向けて動き出した瞬間でした。

ピアニストとして精力的に活動していた頃(左)/ピアノとバイオリンのユニット「clap」のメンバーとしても活動(右)
導かれるように父島へ移住。有料老人ホームのスタッフに
海の近くでずっと暮らしてきた太田さんは、移住先も「海がそばにある場所」に照準を絞って調べ始めました。沖縄の島々はどうか、鹿児島はどうだろうと考えていたところ、ふと思い浮かんだのが小笠原諸島の父島にいる知人でした。
「仕事仲間の家で偶然お会いして『同じ仕事をしている人だよ』と紹介された方だったんですが、私の状況を話したところ『父島においでよ』と誘ってくれたんです。父島のことは以前テレビで野生のイルカと泳げる島として紹介されていたのを見て、行ってみたいなと思っていたんですが、なにしろ遠いし、お金も時間もかかるので旅行を断念した経験があって。これは島に呼ばれているんだ!と思っちゃって」
2020年秋に父島を初めて訪れ、その足で有料老人ホーム「太陽の郷」の採用試験を受験。みごと採用され、2021年6月に父島への移住を果たしました。それ以来、介護スタッフとして週5日勤務し、残る2日はリラックスして過ごすという日々。父島の老人ホームは村営施設のため、介護スタッフも地方公務員という扱いで労働環境が整っていると太田さんは話します。
「利用者さんもスタッフも、みんな仲良しですね。建物の1階には同じく村営の診療所があって、心配なことがあるとドクターや看護師に駆け付けてもらえるのですごく安心。利用者さんが入院することになっても、別棟に移動するだけなので様子もわかりますし。医療設備は限られていますが、島ならではの良い環境だなって思います」

「太陽の郷」にて利用者さんと
何もないけど楽しい父島ライフ
小笠原諸島は独自に進化してきた固有種が多数生息し、「東洋のガラパゴス」とも称される魅力あふれる島々。その中心地である父島は、ボニンブルーと呼ばれる青く澄んだ海が集落のすぐそばに広がり、太田さんは休日になるとビーチに出かけるのが習慣だと話します。
「父島は車で5分も走ればどのビーチにも行けるので、最高ですね。夏は水着に短パンを履いて、車でピュッと行って海へ入る感じ。早番の日に仕事が終わってそのまま海へ行くこともあります。海に入らない日でもピアニカを吹きに出かけたり、クジラの季節にはクジラウォッチングの船に乗ったりもします。あとはウォーキングが好きなので、ひたすら歩いていますね。『久美ちゃんっていつも歩いているね』と島の人によく言われます」

利用者さんと展望台へ。すぐそばに大海原が広がる贅沢
島への交通手段は、東京から24時間かけて航行するほぼ週1便の船だけ。人も物も船の運航に左右される暮らしは便利とは言えないけれど「人間って意外と物がなくてもいけるんだなと発見した」と太田さん。
「父島に来て5年経ちますが、つまらないと思ったことは一度もないですね。週に一度しか荷物が来なくても食べ物は何かしらあるし、ネット通販も使えるし、内地に出たときに買い物すれば十分事足ります。半年に一度取れる、内地休暇という制度があって、2~3週間まとめて休めるんですよ。逆に内地(本州)では商品の種類が多すぎて疲れちゃう。選択肢がありすぎるってストレスだったんだなと、小笠原村に来て気づきました」
内地を出るときに自宅を処分して退路を断ち、大好きな音楽もできない覚悟で父島に向かった彼女。けれど地元の音楽イベントで演奏したり、バンドに誘ってもらったりと、次第に音楽活動が始まり「ホームでもクリスマスやお誕生会などのイベントや、レクリエーションの時間にピアノを弾いてみんなで歌ったりします。こんなに音楽ができるとは思わなかった」と嬉しい驚きだったようです。

最近は診療所スタッフとウクレレユニットを結成!練習に明け暮れる日々(右端が太田さん)
迷っているならおいで!と背中を押してあげたい
移住から5年が過ぎ、太田さんにとってかけがえのない場所になった父島。そんな父島への移住を考えている方に、アドバイスをいただきました。
「人間関係が密なので、人との距離をうまく取るのは大切かもしれません。深入りするのでも、線を引きすぎるのでもなく、ほどよい距離感でおつきあいするのが一番居づらくならない方法かも。それさえできれば、あとは大丈夫!週に一度しか荷物が来ないとか、内地に帰れないとか考えると不安かもしれないけれど、意外となんとかなるというのが私の実感。だから、迷っているなら絶対来たほうが良い!と背中を押してあげたいです」

雄大な自然に包まれて生きる喜び(小笠原ビジターセンター)

小笠原村診療所・有料老人ホーム「太陽の郷」介護福祉士 太田 久美子さん / おおた くみこ
神奈川県藤沢市生まれ。幼少期にピアノとバイオリンを始め、武蔵野音楽大学器楽学科卒業後、横浜市を拠点にピアニストとして活躍。音楽活動のかたわら、介護福祉士として有料老人ホームに勤務。コロナ禍を機に地方移住を考え、2021年6月に小笠原諸島・父島へ移住。有料老人ホーム「太陽の郷」の職員として勤務中。