共に汗を流して生きる暮らしが忘れられず再移住。 大好きな檜原村を全力で支えたい
「ほむら合同会社」代表社員 小川 豪さん
- 移住エリア
- 東京都立川市→東京都檜原村
- 移住年
- 2017年、25年
理想のライフスタイルや、叶えたい夢を求めて地方移住を実現する人は多いけれど、「一度離れた移住先にもう一度移住する」という人は多くありません。今回ご紹介するのは、そんな「再移住」を果たした小川豪さん。移住先は離島を除けば東京唯一の村、檜原村(ひのはらむら)です。都心から2時間という近距離にありながら、村の90%以上が森という大自然に包まれた山里に彼が魅了された理由とは……?
目次
偶然の出会いから飛び込んだ村の暮らし
東京・立川出身の小川さんが檜原村に出会ったのは、大学4年生のときのことです。もともと史跡めぐりが好きで、大学では観光学部を専攻。お金を貯めては各地に出かけ、卒業後も当然のように旅行会社に就職するつもりだったといいます。ところがゼミの調査で3年間、福島県の裏磐梯に通ったことが意識を変えるきっかけとなりました。
「地元のおじいちゃんおばあちゃんの話を聞くうちに、こんなふうに顔の見える距離感で暮らすっていいな、という思いが芽生えていることに気づきました。同時に、都会のビルで働いて時々現地に行くという生き方に疑問を覚えてしまって。その違和感がどうしても消えなくて、いったん就活を全部やめることにしたんです」
将来に悩む小川さんに、ゼミの教授からかけられたのが「檜原村に一緒に来るか?」のひと言。教授が村のエコツーリズム事業に関わっていたことから、教授に同行して村を訪れ、そこで地域おこし協力隊として活動していた1歳上の先輩を紹介されました。「時間だけはたっぷりあったので」小川さんはそれ以来、村に通っては先輩に同行してまわるという日々を重ねます。
「檜原村の協力隊は地域のさまざまな仕事を担っていたため、先輩を通じて村の暮らしを肌で感じることができたんです。昔ながらの人づきあいが残る村では、仕事もプライベートも会うのは同じ人。その距離感は“仕事とプライベートはきっちり分けるのが社会人”と思いこんでいた自分にはすごく新鮮で。人間の暮らし方って本来こうだよなと腑に落ちたというか、知らない誰かのために働くよりも地域のために働くことがしっくりきて、檜原村で働いてみたい!と自然に思っていましたね」
タイミングよく地域おこし協力隊の募集があり、エコツーリズムを研究していた大学時代の経験を買われて、協力隊員として採用。2017年春、大学卒業と同時に小川さんは晴れて檜原村の住民になったのでした。

村の消防操法大会に選手として出場した際の写真。地域に欠かせない消防団は体力的にきつい時もあるけれど、仲間との信頼関係が生まれると小川さん(中央)
顔の見える関係で誰かのために働ける喜びを知った
檜原村の人口は1,900人ほどで、そのうち65歳以上が半数を占めるという高齢化が深刻化している地域です。村外へ勤めに出る住民も多い村にとって、自治会や消防団、祭りの運営といった地域を支える仕事は協力隊の大切な任務のひとつ。地域に根付いて働きたいという小川さんにとっては、願ってもない環境でした。
「村の方にはいろんなところから声をかけられて、かわいがっていただきましたね。地域には暮らしに必要で、誰かがやらなきゃいけないことってたくさんあるじゃないですか。そういう地域活動を敬遠する人もいますが、私は誰かに必要とされること、みんなの役に立てることが何よりも嬉しい。社会人として未熟な自分に何ができるか心配もありましたが、ヘンに取り繕うことをせず『何もわからないので教えてください!』と素直に言い続けたのがよかったのかなと思います」
観光振興事業では、大学時代の経験を活かして村のエコツーリズム事業に尽力。「もともとその場所にある素敵なものを掘り起こすのがエコツーリズムの考え。私はよく“宝探し”と呼んでいました」という小川さんは、住民に話を聞きに行っては宝探しに勤しみ、移住2年目には協力隊のかたわら個人で旅行業もスタート。古民家を活用した和紙すき体験や味噌、こんにゃくづくりなどのエコツアーを実施しました。

村のイベント・払沢の滝夏まつりで「檜原やきそば」の店を出店。お世話になったおじいちゃんが続けていた名物やきそばだったが、体力的に続けていけなくなったと聞き、その味を受け継いだ
コロナ禍で離ればなれになっても、忘れられなかった
「檜原村を離れることは全く考えていなかった」というほど地域にとけこんだ小川さんでしたが、協力隊としての任期を終えた直後、コロナ禍に突入。本格化するはずだった旅行業はもちろん、運営予定だったシェアオフィス事業も白紙になり、近所の人さえ会えない日々が始まりました。1年半ほど隣町の不動産会社で営業マンとして働いていたものの、出口は見えず。「外で働いたことで自分には社会経験が足りないと痛感。だったら、この機会にいろんな経験をしてやろうと」小川さんは村を離れることを決断しました。
立川の実家に戻り、渋谷にある測量事務所に就職。ラッシュの電車にもまれて通勤し、夜遅くまで仕事に没頭する日々。「村に人を呼び込むなら、ターゲットとなるサラリーマンの気持ちを知ったほうがいいし、不動産関係の仕事は空き家事業にも役立つ」と考えてはいましたが、仕事に忙殺されるまま気づけば2年以上が過ぎていました。
「過酷な職場だったので、一度自分の人生を見つめ直そうとしていたタイミングで、檜原村で仲良くしていた知人から『村で会社を興して一緒にやらないか』と声をかけられたんです。村に戻る時が来たんだな、と思いました。一度離れたからこそ、村での暮らしが性に合っていたんだと再認識できた。仕事を辞めることに迷いはなかったです」
そうして2025年1月、ほむら合同会社を設立。同年3月、再び小川さんは檜原村の住人になりました。現在は水道施設管理など村からの委託事業や、イベント出店など観光協会からの委託事業を担当しながら、いずれは宿泊施設や飲食業にもチャレンジしたいといいます。

元役場職員と「ほむら合同会社」を設立(写真右が小川さん)。「ほむら」は火がたくさん集まり熱く燃え上がる様子を指す言葉。村に熱い想いを抱く人が集まる組織にしたいという思いがこもっている
「とにかく村の人たち、村の空気が好きなんですよ。檜原村は自分にとって、帰る場所。移住したては真っ暗で寂しいなと思った村の夜も、今では都会の明るさが落ち着かなくて、すぐ村に帰りたくなる(笑)。そんな場所に出会えてラッキーだったなと思います。だから、この大好きな檜原村がずっと残るように必要なことをやっていきたい。後継者がいないことで途絶えそうな村の大切な仕事を、技術だけでなく思いまで一緒に受け継いでいきたいです」

村からの委託で浄水場の清掃を担当。村の住人に安心安全な水道水を供給するためがんばっています!
檜原村は“通えるド田舎”。何度も足を運んでほしい
最後に、檜原村への移住を考える人にメッセージをお願いすると「とにかく村に通ってほしい」と小川さん。
「檜原村のよいところは、これまでの都会の生活や人間関係を捨てずに田舎暮らしができるところ。都心までは2時間ほどで行けるので、私も地元や学生時代の友人と都心部で会うことも多いです。それでいて電車の駅もない村なので、よそに負けないくらいのド田舎(笑)。田舎暮らしは満喫できると思います。
村への移住は住居探しが最初のハードルになると思いますが、定期的に通うことで顔を覚えてもらうのが近道になると思います。地元の住民と仲良くなってから『実は家を探していて』と相談すると物件が出てきたりするので。私自身も二度目の移住のときは、そうやって家を貸してもらえました。最近ではコワーキングオフィスができ、気軽に通える環境になっていますので、ぜひ定期的に通ってきてほしいですね」

観光協会から委託された業務の一環として、村外イベントで特産品を販売。「移住検討されている方にとって、情報収集の場として最適では」とのこと

「ほむら合同会社」代表社員 小川 豪さん / おがわ つよし
1994年東京都福生市生まれ、立川市育ち。立教大学観光学部在学中に地域での暮らしに興味を持ち、2017年春の卒業後、地域おこし協力隊として東京都檜原村へ移住。村の観光振興や地域活動に従事する。3年間の任期終了後、村での起業を計画していたがコロナ禍の影響で断念。村を離れて都心部で就職するが、2024年に退職。2025年1月に「ほむら合同会社」を設立し、3月に檜原村へ再移住。