海を越え、飯山へ移住。古民家暮らしで見つけた、「ふるさと」の風景。

マーケター、デザイナー、翻訳家など 高橋 ハヤトさん
- 移住エリア
- ニューヨーク→長野県飯山市
- 移住年
- 2018年
アメリカで生まれ、ニューヨークなど大都市での生活が長かった高橋ハヤトさん。幼少期を過ごした日本での新たな生活を夢見て、2年以上の歳月をかけて探し当てた「日本でのふるさと」が、長野県飯山市です。
古民家での日常を楽しむ高橋さんの隣には、異国生まれで飯山育ちの愛猫が。我が物顔でくつろぐ彼らの姿に目を細める高橋さんに、移住のいきさつを語ってもらいました。
目次
「神社やお寺が好きな、少し変わった子」が日本を目指すまで
アメリカではマーケティングやデザインの仕事に携わっていたという高橋さん。子どもの頃から神社やお寺が好きな、少し変わった子だったといいます。ニューヨークやロサンゼルスといった大都市での生活の傍ら、日本への旅行体験を重ねるうちに「住むのであれば日本。それに、伝統的な場所や古民家が良い」と考えるようになったそうです。
「日本は様々な面でコストが比較的かからないんです。食事で提供される量も多いですし、古いものが安く買えます。家も、例えばヨーロッパなどでは、庭付き古民家は大変高価なんですよ」
歴史を感じさせる建物に住みたいという希望と、コストパフォーマンスに優れた生活を求める思いが強まり、日本への移住を決めた高橋さん。さっそく全国の自治体に連絡を取り始めたのですが…。

住み始めた古民家の壁の中から見つかった、当時の人々の営みが詰まったわら半紙の山。写経や落書きは歴史好きの高橋さんにとってお宝だが、数が膨大なので少しずつ仕分け作業を進めている
相談しやすい担当者との出会いが、居場所へ導いてくれた
アメリカからの問い合わせと分かると、自治体によって対応がまちまちな上、連絡した途端に「どうしてここに移住したいのですか?」と質問され戸惑ってしまうこともあったといいます。
「自治体への相談を重ねる一方で、ニューヨークから年に2回来日し、観光がてら移住先を探しました。函館、盛岡、仙台、岐阜、奈良など20か所ほどを訪れ、相当ハイレベルな古民家も見ましたし、目もかなり肥えてきました(笑)」

築140年の古民家
移住を思い立ってから2年、相談や現地訪問を重ねる中で、東京へのアクセス面などを含めた現実的な移住プランを練っていった高橋さんがたどり着いたのが、長野県飯山市。そこで出会ったのが、市役所の移住担当者・水野さんでした。
「水野さんは話しやすい雰囲気でした。後日談ですが、水野さんは私の移住が決まってから初めて『どうして飯山を選んだのか』と尋ねてくれたんです」
その人の立場に寄り添った、移住前後のフォロー
水野さんによる、市内の各所への案内や、移住先になりそうな空き家の提案を通して、候補となる住居を絞り込んでいった高橋さん。「不動産屋さんよりもたくさん物件を紹介してくれる」姿をはじめとした、水野さんの熱意に厚い信頼を寄せるようになりました。
飯山の空き家バンクにも、目を引きつけられました。物件紹介にとどまらず周辺施設や地域の紹介なども具体的に掲載され、一つの物件あたり15ページ以上の情報量に、「本気度を感じた」といいます。
「多くの情報が提示されているので自治体への信頼が芽生え、それが物件を購入する安心感にもつながります」
外国からの先輩移住者に実情をたずねる機会も設けてくれた水野さんは、高橋さんの移住後、冷蔵庫を一緒に購入したり、様々な「アフターケア」をしたりしてくれました。
「アメリカだと洗濯機や冷蔵庫は元からアパートに付いていることが多いので、買ったことがなかったんです。灯油を使ったこともなかったので、灯油のオーダーやヒーターの使い方から教えてもらいました」

飯山市の移住担当・水野さん(左)。現在も交流がある
海を越えて移住したからこそ、わかる事もある
マーケティングやパッケージのデザイン、翻訳など幅広い仕事に取り組んでいる高橋さん。飯山での暮らしのおすすめポイントは?
「四季の移り変わりをはっきり感じ取れますし、山が好きな人にはおすすめです。それに、スーパーも多く、そこへのアクセスも便利。新幹線が停まるのも大きなメリットですね」
クリエイティブなことを考える人にとって、飯山はインスピレーションが湧く町だという高橋さん。移住した古民家から広げていきたい未来があるそうです。
「改装してイベントスペースを作りたいんです。モダニズムのデザイナーが集まる街がニューメキシコにあるのですが、この家が、飯山がアートとデザインの両立する町になっていく、始まりの場所になってほしいと願っています」

ご自身がデザインした椅子。「実用性のあるデザインができるスペースを作りたい」と、高橋さん
そのためにも、飯山に惹かれ移住する人々がさらに増え、地域になじんでいくことが大切。
「日本の田舎は、海外の田舎以上にコミュニティを大事にしています。そうした文化を知らずに、外国のメンタリティのまま家を購入すると後が大変だと思います。SNSで『日本へ行かなくても家を買えるか?メンテナンスは誰かやってくれるのか?』という質問がありますが、現地を訪ね、そこでの生活を具体的にイメージしていくことが必要ですね」
高橋さん自身、お祭りなどにも積極的に参加するうちに人付き合いが増えていったそう。そうしたつながりも相まって、「おすそ分けをもらい、夏の間に一度も野菜や果物を買わないこともあった」と笑います。
そんな高橋さんには、もう一つの顔があります。それは、「移住を受け入れる側」。例えば、有楽町にある「ふるさと回帰支援センター」の移住セミナーにゲストスピーカーとして参加し、移住を考えている人に向けてざっくばらんに体験談を語りました。
海を越え、生まれ育った国に分け入り、古民家とそれを取り巻くコミュニティに、自分の新たな根っこを見出した高橋さんならではの体験談は、移住についての不安を抱える人の背中を優しく押しているようです。

2019年に実施した移住セミナーでの様子(写真提供:飯山市)
今回ご紹介した高橋ハヤトさんがゲスト!長野県飯山市の移住セミナーを、東京・有楽町で開催。
前回(2019年)は満員御礼!大好評の移住セミナーを、2025年10月19日(日)に開催します。高橋さんの体験談を、より詳しく聞けます。「田舎暮らしのリアルを知りたい」「古民家暮らしに興味がある」といった方におすすめです!
移住者を受け入れる立場から―飯山市・水野さんへのインタビュー
飯山市役所で移住受け入れ担当業務に携わっている水野さん。ご自身も飯山出身で、高橋さんをはじめ通算9年間で約1700世帯もの移住相談を受けてきました。そんな水野さんが心掛けていることとは?
心と心で握手して、初めて聞ける「移住の動機」
「私の方から、『移住したい理由』や『なぜ飯山なのか?』『今どんな仕事をしているのか?』と最初から聞くことはありません。移住の動機って、ご本人が『ここに移住する!』と決めてから初めて本音を聞けるんじゃないかと思いますし、ある種の信頼関係がないと語ってもらえない気がするんです」
相談者が移住をめざす理由も、当初の「自然が豊かそう」「ゆっくりとした生活ができそう」といった漠然としたものから、物件探しや現地での触れ合いを通して、具体的になっていくと言います。
「『地域についてよく理解でき、ここでなら生活できそうと思った』『四季の自然の移ろいを目の当たりにして、住みたいと心から思った』という具体的な思いこそが、その方にとって、本当の移住の動機なのではないかと思います」
その思いを聞けるのは、お互いの信頼の積み重ねがあってこそ。
「何度も熱心に足を運んでくださる移住希望者の努力は言うまでもありません。その上で、飯山のプラスな面、マイナスな面を十二分に伝えさせていただき、市内をご案内し、飯山の良さを実感してもらう。担当者としても全力を尽くした上で移住を決めてもらえたなら、その時に初めて、自信をもって『どうして飯山に決めたんですか?』と聞けるような気がしています」
ちなみに、水野さんは相談対応の際に、メモを取らないようにしているとのこと。
「初対面の相手に質問されてメモを取られるのって、自分ならちょっと抵抗感があるなと思って。移住相談でのやり取りというのは、移住希望者にとってはプライベートな領域まで踏み込まれることですし、ご本人の人生に関わるとても重要な内容だと思います」
そして、水野さんは「叙情的な表現になりますが」と前置きして、次のように語ってくれました。
「『移住の動機』は、心と心で握手することができて、初めて聞けることのように思っています」

現地へ訪れた方にまちを案内する様子
飯山に暮らす人間どうしの結びつきができるまで
高橋さんの移住に伴走した水野さんに、印象的なエピソードをいくつか伺いました。
「高橋さんが飯山への移住を決意された日のこと。既に夕方でしたが、居住後の生活が気になったようで、さっそく一緒に冷蔵庫などを探しに、飯山市内や周辺市町村の家電量販店をはしごしました。今でも高橋さんのお宅へ伺って冷蔵庫を見るたびに、当時を思い出しますね。
私の実家に外国人移住者を14~5人くらい招いて懇親会を開いた際、高橋さんも参加し、『飯山を選んだ理由』などの楽しい話をしてくれたこともあって、とてもうれしく思いましたね」
最後に、とりわけ印象深い思い出を語っていただきました。
「高橋さんが夕食に誘ってくれ、予約された席に着くと、二人にしてはやけに大きなテーブルだったんです。不思議に思い周囲を見回すと、近くの個室から10人くらいの方が手を振ってくれ、『お誕生日おめでとう!』と祝ってくれました。集まってくれたのは、今まで自分が相談を受け、飯山市に移住された外国の方やそのお友達でした」
「市の担当者と移住希望者」として始まった関係性は、飯山に暮らす人間どうしとしての結びつきにつながっています。

豪雪地帯として知られる飯山市。さすがにこの高さはなかなか見ないとのこと!

マーケター、デザイナー、翻訳家など 高橋 ハヤトさん / たかはし はやと
ニューヨークに生まれ、幼少期に東京へ移住。16歳まで日本で過ごす。その後、アメリカに戻り、20年以上にわたりニューヨークを拠点とする。2016年から日本への移住のため準備を進め、2018年に縁もゆかりもなかった長野県飯山市へ移住。築140年の古民家を再生しながら暮らしている。