移住事例紹介

百貨店のある故郷は、最先端のコミュニティスポットがある暮らし。住みたい街づくりを地域とともに

東京都→京都府京丹後市
2008年移住
東田 一馬さん
「チャレンジ!つねよし百貨店」実行委員会

古都京都の北部に位置し「長寿のまち」として有名な京丹後市は、日本海に面する自然豊かな美しい街。大宮町常吉(つねよし)地区にある日本一小さな百貨店「チャレンジ!つねよし百貨店」は、地元で採れた旬の野菜や果物、手作りの保存食など他にはないものにこだわり、地域の拠点として愛されています。「チャレンジつねよし百貨店実行委員会」の東田一馬さんは東京からの移住者。どのような経緯で地元に愛されるお店を運営するようになったのかお話を伺いました。

移住を決めたきっかけは、「関西で働くことができる」こと

▲日本一小さな百貨店「チャレンジ!つねよし百貨店」

大阪市生まれの東田さんは、京都の大学を卒業した1987年に通信系の企業に就職しました。その後もアメリカへの留学やシリコンバレーでの起業を経験してIT業界の第一線で活躍。帰国後の2002年からは、東京都内のゲーム企業などに転職し忙しい生活を送っていました。
ところが帰国して7年目の2008年にリーマンショックが起こります。この影響を受け、勤め先を翌年に会社清算することになってしまいました。

このことをきっかけに生まれ故郷の関西に戻ることを考えた東田さん。そんな時に知人から京丹後市で「田舎で働き隊」の募集があることを聞きます。
「田舎で働き隊」(現在は「地域おこし協力隊」に名称変更)は、新しい地域の担い手として活躍していく人材を募集し都市部の人材と地域をマッチングして地域活性につなげる農林水産省の事業です。※

「田舎暮らしへの憧れや興味はなかったのですが、やってみようと思いました。出身の関西なのでいいかなと。あまり深く考えてはいませんでした」と当時を振り返る東田さん。アメリカなど様々な場所に住んでいた経験があったため、「田舎で働き隊」として知らない土地で働くことに関して、大きく問題視することもなかったそうです。
「移住ってすごく綿密に調べていく人と、パッと行っちゃう人がいると思います。私は完全に後者の考えでしたね。」

▲京丹後市の久美浜湾

その後「田舎で働き隊」に応募をし、無事に採用された東田さんは2009年に京丹後市に移住します。
当時、都内で奥様の真希さんと暮らしていましたが、移住した2009年は、真希さんは故郷の淡路島に里帰り出産をしていた時期だったそうです。
「私が先に単身で移住して2010年春に妻も子どもを連れて移住しました。私が最初に京丹後への移住を決めた時、妻は猛反対していましたよ。当時それが移住で一番困ったことだったかもしれません(笑)。」

この年を境に、仕事はもちろん東田さんの考え方も大きく変わったといいます。渋谷や六本木ヒルズで働いていた前職時代と比べると、生活環境は180度変わり、移住後は地域の事を深く考えるようになったそうです。また、東田さんは趣味で著名な経済学者の本や講演に触れる機会があり、言葉や考え方に深く共感するようになったのも移住がきっかけだと言います。
「何十年も前のある農業経済学者の本ですが、『成長には限界があるのでそればかりを目指すのではなく、今ある暮らしを大切にしていく』という概念があるんです。移住を機にこの言葉にとても惹かれました。今でも私の仕事の指標としています。」

心を動かされた地域の人の言葉「ヨソモノガカッテナコトスルナ!」

移住した東田さんの受け入れ先であり研修先が、「チャレンジ!つねよし百貨店」の前身の「常吉村営百貨店」でした。「常吉村営百貨店」は、地域住民が出資し、住民が自主運営してきた集落で唯一の商店。「なんでもあるから百貨店」をコンセプトに、食品や日用品を扱い、地域の暮らしを支えてきたシンボル的存在でした。

「常吉村営百貨店」で半年間の研修の任期を終えた東田さん。当時はまだ京丹後市にそのまま永住しようとはっきり決めていたわけではないそうですが、地域の人の一言に大きく心を動かされる事になります。
「次はどこか他の地域に行ってみようかなとも考えていたのですが、研修終了時の報告会で、他の地域の寺の住職さんに『よそ者が勝手なことするな!』と怒られてしまいました。」

都会から人が来て「こうすればうまくいく、こうだから人が減っている」など欠点を指摘されることで地域の人が引け目を感じてしまうこともあり、東田さんの活動を総じての厳しい発言でした。
「田舎では多かれ少なかれ、どこでもあると思います。でも、口出しだけして帰ってしまう、そんな人たちと同じだと思われるのは嫌だなあ、と。そう思われて半年で帰るのも悔しいし、もうちょっとここにいよう、と思ったのが今につながっています。」

百貨店のある故郷は、住みたい故郷

研修終了後も京丹後市に住み続けることを決意した東田さん。その後「田舎で働き隊」の時に地域と東田さんを繋ぐコーディネートをしていた地域系のコンサルティング会社に社員として採用され、引き続き働き始めます。そして研修の受け入れ先だった「常吉村営百貨店」の運営にも関わり続けることになります。
「常吉村営百貨店の代表にはとてもお世話になりまして、仕事だけでなく私の暮らしを支えて頂いたりもしました。移住して特に困った事が無かったのも代表の支えが大きかったです。」
公私ともに支えてくれた代表は「困っているお年寄りがいるのだから死んでも頑張らねばならん」と話し、厳しい経営状態でも一生懸命店を続けていたそうです。

しかしながら郊外型の大型店舗の出店やネットサービスなど近年の商業形態の変化、そして追い打ちをかけるように代表の体調が悪化してしまい、2012年8月に苦渋の決断として閉店が決まってしまいました。
「15年間よくやった、役割も終えたしご苦労さん、閉じよう、という空気でした。やっても儲からないから、やって欲しいけどやる人がいない、そんな状態でしたね。」

大型商業店、チェーンストアの進出で生活はより便利になっていますが、その一方で、全国どこでも安くて同じような商品が並ぶ店が多いのが現状です。そんななか「常吉村営百貨店」は、地域に暮らす人々にとって交流の場であり、見守りの拠点であり、ふるさとの思い出の場であり、みんなの誇りだったと、東田さんは言います。
「ふるさとの誇りを伝える拠点として百貨店の存在意義はあるし、役目を終えたというのはなんか違うな、再開したいなとすぐに思いました。」

地域の拠点としての機能を存続させたいという思いで、店の再開を決意した東田さん。そしてこの決意にはお子さんの存在が大きかったと言います。
「私たち夫婦は移住者で“よそ者”でしたが、子どもはここが故郷です。将来子どもがこの街を離れてここに戻って来た時に、あ、いい街だなと思ってくれるような田舎を残してあげたいなと思いました。子どもが将来ここに住みたいと思える環境を残すのが親の役目だと思っています。」

▲地域の情報が詰まったボード

そしてお子さんだけでなく、出会った方々の存在も再開を後押ししてくれたようです。
「都会にいた時は、お年寄りと話す機会は殆ど無かったのですが、ここでは毎日お話しします。自分も含めて人は必ず“お年寄り”になるわけですから、自分の将来を考えた時もこういう地域で暮らせるのがいいなって。」

ご夫婦で一軒一軒お店の再開を報告しにまわると、歓迎の声がたくさん届きました。東田さんは、百貨店の再開は、個人商店とは違う店自体が持つ力を感じたと言います。

小さな拠点、コミュニティスポットとしての役割を担う百貨店

▲「Place Making Lab」と題した場づくり

店の改装時には、地域の人が総出で店内にあったものを外に運び出し、ガランとなった店を会場に「新しいつねよし百貨店を考える会」を開催しました。
会場には子どもからお年寄り、そして地域外の方まで参加。さらには動画配信サービス・Ustreamの中継やfacebook上での会への参加なども受け付け、多方から意見をもらい店づくりに反映させたそうです。

そして人材支援事業のスタッフ、多くの地域の人たちの協力もあり、新しい百貨店「チャレンジ!つねよし百貨店」は2012年11月にオープンしました。
「同じ店が続くのではなく、一旦閉じて新たに始めるという変化が必要でしたので、私たち夫婦が中心となり、村営時代のスタッフには裏方に回っていただきました。」
現在の市場規模に合わせて、商品棚のスペースを1/4に縮小。その代わりに地元で採れた旬の野菜や果物や地域のおばあちゃん手作りの保存食を陳列するなど、商売はコアな部分に絞ったそうです。

さらに前百貨店との大きな違いは、運営の考え方だと東田さんは話します。
「日々の暮らしを大切にして、自分自身が楽しみながらやっていきたいですね。いい意味で頑張らずに続けたいなって。ふわふわした感じでお店を運営しているのが逆にうまくいっている理由だと思います(笑)。」

「チャレンジ!つねよし百貨店」は、誰もが気軽に入ることができるコミュニティスポットの最先端の形だといいます。
「百貨店でお年寄りが、1時間くらいのんびりとバス待ちに利用していますよ。バスの時間をここに聞いてくる方がいるくらいです(笑)。それに子どもたちの待ち合わせ場所にもなっているみたいですよ。ふらっと店に入ってきて遊んでいる子や、親に怒られた時の避難場所として利用している子もいます(笑)。」
多くの人にとっての交流の場として欠かせない存在になりつつあるようです。

移住先としてはノーマークの場所。京都の魅力。

東田さんは「チャレンジ!つねよし百貨店」を運営しながら、2014年12月からは、京都府から委嘱を受け、地域ニーズの把握や、行政等との調整、地域活動の事務処理等や地域・仕事おこし活動など地域課題に応じて取り組む「里の公共員」としても活動しています。そして奥様は2016年4月から、京丹後市の市議会議員を務め、今ではご夫婦で誰よりも地域のことを考え、地域をより良くする為に忙しい日々を送っています。
「京丹後市での生活はとても楽しいですね。子育てにもとても良い環境で、通学中にコウノトリが電柱にとまっていたりして自然がいっぱいですし、小学校にはスキー場があるんですよ。とても贅沢ですよね(笑)。私は、毎日夜9時30分に子どもと一緒に布団に入って寝ることが一番の喜びですね。都会の生活ではあり得なかったですから。」

東京からの移住で、新しい楽しみや喜びを見つけた東田さんですが、京丹後市の魅力はどこにあると考えているのでしょうか。
「海があって食べ物が美味しくて歴史も文化もあるというのは月並みですが、それにプラスして場所が“京都”というのが良いと思います。京都のブランドの力は大きいと思います。」
京都は観光地のイメージが強いけれど、移住先としても近年人気で、特に京丹後市は海と豊かな自然と温かい人に恵まれている環境にありながら、関西の大都市にも近くとても便利。そんな素晴らしい特典がある町だということを多くの人に知って欲しい、と笑顔で話しました。

お互いを知るきっかけづくりが移住の秘訣

最後に東田さんに移住を成功させる秘訣について伺うと、そのポイントは転校生だというのです。
「移住は転校生と同じ。最初は居心地が悪くて当然です。でもスポーツが得意、○○が趣味などきっかけを作ってみんなとだんだん仲良くなっていきますよね。それと一緒だと思います。何もしない、何もできないのに仲良くしてもらおうと考えるのは間違いだと思いますし、地域の人も移住者をいつまでも移住者として見ているのはいけないと思います。お互いを知るきっかけ、歩み寄るきっかけをどこから見つけるかが一番大事だと思います。」
京丹後市に“転校”してきた東田さんは意思をもって住み続け、お店を再開し、新しい交流の場を根付かせようとしています。

※農林漁業の担い手の高齢化・後継者不足や、若者の都市部への流出という大きな課題に立ち向かう為に、地域の産物や自然環境等を活かした新しいビジネスの創出を行い、実際の事業を通した実践研修を行いながら、農山漁村で働く魅力や面白さを知ってもらい地域の活性化や定住促進を目指すのが目的です。(農林水産省・地域おこし協力隊HPより)