全国を飛び回る生活から、商売の道へ
パイロットから商売の道に転身した経緯について、浅倉さんに尋ねてみました。
「ヘリコプターのパイロットとして、全国を飛び回っていました。」と浅倉さん。57歳まで、パイロットとして北海道から沖縄まで全国の飛行場を行ったり来たりする生活をしていたそうです。
パイロット生活後半は、宮崎県にある唯一の国立の航空学校で教官を務め、家族と離れて単身赴任をしていました。家族のいる東京と宮崎を行き来する中で、奥さんの実家が佐賀県ということもあり、時々佐賀県にも足を運んでいたといいます。
定年退職をした後、「再就職も考えましたが、自分のやりたいことは何だろうと考えた時に、商売がしてみたい!と思い立ったんです。」と浅倉さん。
奥様のお母様が体調を崩してしまったことをきっかけに、佐賀県に移住をすることを決めました。佐賀県に決めた理由の一つには、パイロット時代に何度か九州に降り立った時、九州ののんびりした雰囲気や自然の豊かさなど様々な魅力に惹かれていたこともあったと言います。
パイロット時代の浅倉さん
『一楽堂』開店までの歩み
どうしてラーメン屋を始めようと考えたのか、そのきっかけを浅倉さんに聞いてみました。
漠然と飲食がいいなと考えていた時に、たまたま博多にある『一風堂』の社長に出会ったそう。
「この出会いが大きかったです。ラーメン屋って汚いイメージがあって女性に敬遠されがちだと思うんです。でも、『一風堂』は女性一人でも入れるような雰囲気があって、これを佐賀にも持ってきたい!と思いました。」
と浅倉さん。自ら社長に頼んで弟子にしてもらい、1年間みっちり修行をしたそうです。
その後、『一風堂』の社長に『一楽堂』という名前をもらい、平成7年7月7日、佐賀駅の北口側に念願の開店。3年後には、佐賀駅南口側に2店舗目を開店しました。
一楽堂の内観と自慢のラーメン。美味しそう!
ラーメンを通じて感じる人の温かさ
「『おいしい!』ってお客さんが言ってくれる時が、ラーメン屋をやっていてよかったと思う瞬間です。時々厳しい意見を言ってくる人もいるけど、その人がまた来店して、今度は『悪くないね』と言ってくれるんです。ラーメンを作りながらお客さんと会話ができるのも嬉しいですね。」と浅倉さん。
東京に比べて人が少ない分一人ひとりとの付き合いが深く、人々の温かさに救われてきたと言います。
「苦労は全くなかったかな。とにかく周りの人が優しくて。」と話していました。
セミナー後、移住という大きな決断をどうしてできたのかを伺うと、「準備とかあれこれ考えていると面倒臭くなってしまう。決断したっていうよりも、なんか自然の流れで移住したって感じです。」と笑って話す浅倉さん。
「今移住を考えている人には、最後まで諦めないで欲しい。戸惑うこともあると思うけど、後悔しないよう自分の夢を追い続けて欲しい。」とお話ししてくれました。
セミナー終了後には交流会が開かれ、参加者の皆さんは浅倉さんの話に楽しそうに耳を傾けていました。