移住ストーリー

陸前高田は多様性のまち。鉄道マンから、人を呼びこむ移住コーディネーターに

東京都→岩手県陸前高田市
2019年移住
松田 道弘さん
陸前高田市 地域おこし協力隊

日本の原風景が残る岩手県遠野市小友町で生まれ、少年時代を過ごした松田道弘さん。その後は鉄道マンとなり都会で生活していましたが、32歳でUターン。2019年4月から岩手県陸前高田市の地域おこし協力隊として着任した松田さんに、お話を伺いました。

“絵に描いたような田舎”から、大都会へ

松田さんは、地元出身のご両親と2人のお姉さんと一緒に、遠野市小友町で育ちました。

「山をかけまわったり、川で魚を捕まえたりと、本当に絵に描いたような田舎の遊びをしていました」

家族で海に遊びに行ったり、家の畑仕事を手伝ったりしながら過ごしていた松田さん。
高校生になり、懸命に打ち込んだ野球部を引退するころ、これからの進路に向き合います。

「当時は地元に対して不便な場所だな、何もないなという気持ちがありました。同級生たちも3分の2以上は地元を離れます。僕の両親は『地元に拘らず、好きな場所に行けば良い』というスタンスでしたから、盛岡への進学を選びました」

中学・高校とボランティアで近所のデイサービスに通い、「何よりお年寄りとのコミュニケーションが楽しかった」という松田さんは、家を離れ、盛岡市の医療福祉の専門学校へ進学。卒業後は介護福祉士として働き出します。
その後、2011年に東日本大震災が発生。当時松田さんは25歳。遠野市宮守町の施設で働いていました。

「僕自身も大船渡や陸前高田へボランティアに行きました。また、地元の遠野は内陸と三陸沿岸の中間に位置しているため、多くの支援機関や組織の後方支援拠点が置かれ、市民もその活動をバックアップしました。NPOや社団法人など、地元にもまちづくりの団体がたくさんあることを初めて知りました」

それから3年。
震災の非常事態が徐々に落ち着いてきた遠野で、28歳の松田さんは、再び自分のこれからについて考えます。

「この先、生活の基礎を築く上で、もっと収入が多いに越したことはない。このままここで今の仕事を続けて、未来の家族を幸せにできるのかな、と考えるようになりました」

そんな時義兄にすすめられたのが、鉄道会社の中途採用試験でした。

「正直、鉄道の仕事に憧れたことは一度もありません(笑)。でも、安定した収入を得て、都会で働ける。これが最後のチャンスだと思い、挑戦しました」

見事試験に受かり、首都圏の鉄道会社で駅務員として採用された松田さん。
大都会での生活が始まります。

故郷への思いを再認識した、先輩の一言

「都会で働き始めて『あ、失敗したな』と思いました。空気と水が自分には合わなかったし、人混みが本当に無理で。盛岡も都会だと思っていましたが、そんな風に感じたことはなかったんですけどね。でも、同僚や友人には恵まれました」

環境が合わないと感じながらも、持ち前の人当たりの良さで仲間を増やしていく松田さん。安定した収入もあり、便利な都会の暮らしにも慣れ、駅務員として5年間勤めます。
そんな中、このまま都会で生きていくことも考えていた松田さんにUターンを意識させたのは、信頼する先輩からの一言でした。

「『会社を辞めろ』と言われました。パワハラじゃないですよ(笑)。本当にやりたいことや行きたい場所があるならそっちに進め、と」

その一言に、松田さんはもう一度自分の本心と向かい合います。

「鉄道の仕事を選んだのは、収入アップや上京という目的以外に、首都圏から人やお金を岩手に送りたい、という思いが実はありました。都会は確かに便利ですが、生きる場所はここではないとずっと感じていました。大自然が遊び場だった僕の子ども時代が、本当はとても尊かったこと。そしてそんな地域を守り、盛り上げる仕事がしたい。そう考えるようになりました」

復興のまちに新たな役割。自らのUターン経験を生かす移住コーディネーターに

岩手に帰り、まちづくりに関わる仕事がしたいーー。
ぼんやりとでも次のビジョンが見えた松田さんは、ふるさと回帰支援センターを訪問します。

「移住コンシェルジュの方から、初めて地域おこし協力隊という制度があることを教えてもらいました。キャリア・カウンセラーさんにも職務経歴書の書き方などを相談しながら、退職のタイミングも考えて応募する自治体を決めました」

そして2019年4月、地域おこし協力隊として陸前高田市に着任。

「引っ越してきてまず思ったことは、空気がうまい!風が気持ちいい!暮らしの中で自然を肌で感じるのは大事だなと実感しました」

陸前高田市の氷上山(ひかみさん)。標高874.7mからは美しい広田湾の景色が見える

着任してまもなくのある日、大事な会議に遅刻してしまった松田さん。

「遅刻の理由を問われて、正直に『着任の新聞記事を読んだと言う地元のおじさんにつかまって話し込んでいました』と答えると、『じゃあ仕方ないね』と笑って許してもらいました。駅務員時代は1分1秒の遅れも許されない仕事でしたから、あぁ、やっぱりこっちの方があってるな、と(笑)」

そんな松田さんの今の楽しみは、飲み会とのこと。

「飲み会と言っても、飲食店でお金を出して食事する飲み会ではなく、誰かの家で、お酒や料理を持ち寄って開く飲み会です。いろいろな人に出会えるし、新しいつながりを生むきっかけになります。僕の持ち込みメニューは、知らぬ間に玄関先に置かれているお裾分けの野菜を使ったキーマカレーです」

地域の人たちとの交流。左から2人目(前列)が松田さん

松田さんの地域おこし協力隊としての業務は、移住希望者や移住者の相談対応や支援です。

「正直、陸前高田に来たばかりのころ、町を見渡して、まだ復興はこんなものなのかと思いました。でも、想像以上に全国からたくさんの方々が移住されていて、地元の人も当たり前のようにそれを受け入れている。人のつながりや多様性の豊かさは、陸前高田の復興の象徴の1つなんだと思います」

震災から8年。
陸前高田に新しい移住者を招く松田さんの姿も、復興の象徴と言えそうです。

美しい広田湾(岩手県南東部)の風景