ジビエの美味しさを届けたい!狩猟から始まった移住、そして経営責任者への道

「猪鹿工房 山恵」経営責任者 井原 綾子さん
- 移住エリア
- 愛知県内→愛知県豊田市
- 移住年
- 2020年
地元で捕れたジビエを扱う「猪鹿工房 山恵」の前に立つ井原さん
山の澄んだ空気が心地よい愛知県豊田市の足助地区。紅葉の名所、香嵐渓から車で10分ほどの場所にあるのが、地元で捕れたシカやイノシシを解体・直売する施設「猪鹿工房 山恵」です。軽トラックに乗って颯爽と現れたのは、施設の経営責任者である井原綾子さん。荷台には捕獲したシカが積んでありました。もともと狩猟免許を持っていた井原さんは、山に囲まれた生活に惹かれ、豊田市に移住しました。現在は、施設の経営責任者として忙しくも充実した毎日を送っています。
目次
山の恵みをいただくジビエとの出会い
井原さんの施設が扱うのは、地元で捕れたジビエです。
ジビエとは、狩猟で捕れた野生鳥獣の食肉のこと。田畑を荒らすシカやイノシシを仕留めた際、命を無駄にしない活用法として注目され、豊田市でもジビエの活用推進を図っています。シカ肉は高たんぱくで低カロリー、イノシシ肉はビタミンBを豊富に含むなど、栄養価の高い食材としても知られています。
子どものころから動物が好きで、大学卒業後、動物看護師として働いていた井原さんがジビエについて知ったのは、2018年のことでした。
ある日、スーパーに並ぶ切り身の肉を見て、「元々の形を知らないな」と、ふと思い当たります。普段から口にしている家畜の肉について調べる中、ジビエに興味を持ちます。
偶然、親戚に猟師をしている人がおり、話を聞きに行った時に初めてイノシシ肉を食べた井原さん。「臭みもなくて、普通に食べられる」と感じたそうです。増えすぎたシカやイノシシによる農作物の被害など山里の現状も知り、自分も狩猟してジビエを食べてみたいと思い立ちます。
銃砲店や猟友会の人から情報を集めながら、2019年に狩猟免許を取得し、秋から冬にかけての猟期には、早朝から先輩猟師たちと山に行く生活が始まりました。「山に入ると人間は丸腰。何もなかったら生きていけないんです。人間の弱さを知りました」と、山の厳しさにも触れると同時に、その魅力に惹かれていきます。

猟銃を持って山に入り、動物の足跡を確認する井原さん
管理職としてやりがいを見失う中、惹かれた山の面白さ 退職して夫婦で移住を決意
当時、勤務先の病院では、好きだった動物と触れ合う現場の仕事から離れ、管理職である看護師長になっていました。管理職として、リーダーの適性がないのではと悩み、やりがいを見失っていたそうです。一方、休みの日に狩猟仲間と山に入れば、新しい学びや発見が続き、生き生きと過ごすことができました。井原さんは、ますます狩猟にのめり込んでいきます。
その頃に知り合ったのが、豊田市に移住し、ジビエカフェを営む猟師の女性でした。「仕事を辞めて豊田に移住しようかと思っているんです」と相談したところ、「仕事はいくらでもあるんだから、辞めてこっちに来たらいいんじゃない」と声をかけてくれました。仕事を辞めることへの不安も大きかった井原さんでしたが、その言葉に背中を押されるように、相談の翌日、職場に退職を申し出ます。
ホームページ制作の会社に勤め、リモートワークも多かった旦那さんも、退職には賛成してくれました。ただ、旦那さんはもともと豊田市の山間部出身で、都会に住みたいとの思いから、名古屋市に出てきていたため、当初山間部への移住には、難色を示したそうです。
何度も話し合いをし、最終的には移住に同意してくれました。
裏山付きの古民家で移住生活がスタート
退職から2カ月後の2020年10月、井原さん夫婦は豊田市に移住します。住まいに選んだのは、相談に乗ってくれた猟師の女性を通じて紹介してもらった古民家です。明治時代に建てられ、その後リフォームされた家で、一つの空間がふすまや障子で隔てられた「田の字型」の間取りや、階段箪笥がある点が気に入ったそう。狩猟をしたかった井原さんにとって、母屋の後ろに広がる裏山も自由に使っていいと言われたことも好条件でした。2階建ての母屋は夫婦で住むには広すぎる大きさですが、家賃は名古屋市内に住んでいた時の3分の1になったと言います。

井原さんの住む、明治時代に建てられた古民家。朝はキジが鳴く声で目覚めるほど自然に囲まれた場所だ
移住後しばらくは働かず、ゆったりと過ごしていた井原さんですが、1年ほどたったころ、家の近くにあるジビエ専門の解体・直売施設「猪鹿工房 山恵」で人手が足りないと聞きます。狩猟免許を持つ井原さんにはぴったりな仕事。代表取締役に「狩猟でも、解体でも、販売でも、何でもよいから働きたいです」と伝え、働き始めることになりました。
最初は70代の先輩猟師について山に入り、捕獲から枝肉にするまでを間近で見て学びました。その中で、ジビエの美味しさは解体処理の方法で大きく変わるにもかかわらず、その方法は猟師や地域によって千差万別なことに、気付きます。井原さんは、より美味しいジビエを届けたいとの思いから、県外の施設を見学する研修にも積極的に参加し、ジビエへの理解を深めていきます。
働き始めて2年が経ったころ、高齢だった施設の経営責任者が後継者を探すタイミングで自ら手を挙げ、井原さんが引き継ぐこととなりました。

店内に並ぶジビエの冷凍商品。カラフルでおしゃれなパッケージが目を引く
経営責任者としてやりがいを感じる日々
現在は、40~70代のスタッフ4人を率いて働いています。朝8時に出社後、地元の猟師から捕獲の連絡があればすぐに向かい、施設に運びます。2023年には、計440頭を取り扱いました。経営方針を考えたり、営業に行ったりして、帰宅は夜9~10時になることも多いそうです。動物病院に勤めていた頃は、管理職として悩みも多かった井原さんですが、経営を裁量できる今のポジションは「刺激があり、面白いです」と目を輝かせて話します。
今後の目標は、ジビエを味わったことがない都会の人にもその美味しさを知ってもらい、記念日などで使う特別なお肉として食べてもらうことです。都市部の観光客が集まる紅葉シーズンの香嵐渓でもイベント出店したり、施設で料理教室を開催したりして、地元の山の恵みをより多くの人に知ってもらうよう取組を続けています。

「猪鹿工房 山恵」から車で約10分の場所にある香嵐渓。県内屈指の紅葉の名所
移住者は転校生 ネットでのネガティブな情報に惑わされすぎないで
自然に囲まれた生活を満喫する井原さん。その姿からは移住前の不安は感じられません。
移住を考える人へのメッセージを尋ねると、
「移住前は不安も多いから、ネットで調べてもネガティブな情報ばかりに目が行きがちだと思うんです。でも実際に移住してみて、そんなことはないと私は思いました。田舎ではプライベートがなくなるということだって、自分のことをそれだけ気にかけてくれているんだと考えれば、人の温かさが感じられます。地域の役回りが多いのはもちろんですが、でもそれは、その地域に受け入れてもらっているんだから当然のこと。私は、移住者って転校生と同じだと思います。最初はみんな興味を持って色々知りたがるけれど、しばらく経つとクラスに馴染んでいくのと似ていますね」
と教えてくれました。
井原さんにとって想定外だったのは「冬の寒さと虫の多さだけ」だったそうです。
快活な笑みには、移住先で生き生きと生活する充実感がみなぎっていました。「生きている以上、私たちは食べることをやめられません。だからこそ、山で捕れた貴重な命を丁寧に美味しくいただくことの大切さを考えていきたいです」という信念の下、井原さんは今日も軽トラックに乗り、元気よく里山を駆け回っています。

嵐渓のイベントで地元のジビエを販売する井原さん
■関連リンク
ファースト暮らすとよた

「猪鹿工房 山恵」経営責任者 井原 綾子さん / いはら あやこ
1982年名古屋市生まれ。大学卒業後15年間、動物看護師として働く。ジビエに興味を持ち、37歳の時、狩猟免許を取得。猟師として山の魅力に惹かれ、勤務先を退職。
2020年、夫とともに豊田市に移住。ジビエ専門の解体・直売施設「猪鹿工房 山恵」で働き始め、2024年2月から経営責任者。
■Webサイト
猪鹿工房 山恵