心と体からのサインを機に地方移住を決意。妻の人生に縁の深い地が、家族の新たなふるさとに
外資系自動車部品メーカー日本法人代表 石井 裕朗さん
- 移住エリア
- 神奈川県→愛知県犬山市
- 移住年
- 2020年
激務と都会暮らしの疲れから体調を崩し、地方移住に踏み切った石井裕朗さん。たまたま転職先があったからとの理由で移り住んだ愛知県犬山市でしたが、歴史情緒と豊かな自然が織りなすまちの風土は心と体に優しくなじみ、すっかり健康を取り戻しました。そして、移住地を決めた後に判明した驚きの事実。犬山市は陸上選手だった妻佳奈子さんにとっても、大切な場所だったのです。
目次
自動車部品メーカーから外食産業へ。しかし、激務で体調不良に
石井さんは神奈川県秦野市出身。山々に囲まれたふるさとで、大学卒業まで過ごしました。最初に就職したのは韓国に本社のある自動車部品メーカーで、勤務地は東京・有楽町でした。秦野市の実家から通勤するには片道2時間かかるため、横浜市で一人暮らしを始めました。
2009年には外食産業を経営する友人の誘いを受け、転職。2011年に職場で出会った佳奈子さんと結婚し、翌年には一人娘の佑奈さんが誕生と、順風満帆な生活でした。
しかし、外食産業の仕事はかなりの激務。仕入れを担当しており、毎晩各店舗の営業終了後に上がってくる仕入れ情報を翌朝の市場に間に合うよう取りまとめるため、勤務は深夜まで及びました。店舗は土日も営業するため、家族とゆっくり過ごせる時間はわずかでした。転職から10年たった2019年、ついに体が音を上げ、休むことを余儀なくされてしまいました。
自然を感じる場所で暮らしたい。転職先を見つけ、犬山での生活がスタート
ちょうど、日本にコロナ禍の暗雲がかかり始めた時期。
「いったん立ち止まって考えた時、最近は緑を見る機会がなかったなと思って。一度環境を変えて、地方に行くのもいいなという思いが生まれたんです」
気がかりは家族でした。佳奈子さんにも仕事があり、佑奈さんは小学校に上がったばかり。家族を巻き込む決断だけに不安もありましたが、思い切って相談してみると、快く賛成してくれました。
「私も熊本県八代市の出身で、緑の中で育ちました。だから、いつか自然の多いところに住みたいと思っていたんです」
と佳奈子さん。
全国規模の移住イベントにも参加しましたが、移住先の決め手となったのは転職先でした。
「せっかく自然を求めて移住するのであれば、環境関連の仕事に携わりたくて転職先を探しました。たまたま求人を見つけたのが犬山の太陽光ビジネスの会社で。面接を受けてご縁をいただいたので、犬山市に住むことになりました」
2020年7月、家族で市内のマンションに入居。新生活をスタートしました。
ゆかりはないと思っていた犬山。実は妻の人生にとって大切な場所だった
国宝犬山城を臨み、江戸風情を残す城下町が広がる犬山市。春には華やかな山車が古い町並みを巡行する犬山祭が開かれます。その脇には雄大な木曽川が流れ、古式ゆかしい鵜飼が繰り広げられます。市東部の丘陵地にはテーマパークが点在。「中部圏の奥座敷」とも呼ばれ、季節を問わず観光客でにぎわいます。
石井さんにとっては、仕事で立ち寄ったことがあるという程度のゆかりのない地でした。ところが、妻の佳奈子さんにとっては思いがけず重要な場所だったことが分かり、不思議なめぐり合わせに驚くこととなりました。
佳奈子さんは陸上女子長距離界の名門ワコールに所属し、1996年の世界ハーフマラソン選手権にも出場した元トップランナー。そのハーフマラソン初出場にして、初優勝した大会が、犬山市で毎年開催されている読売犬山ハーフマラソンだったのです。
「正直なところ、レースの印象は強く残っているのですが、犬山についてはあまり知りませんでした。いざ住んでみたら、自宅のすぐ近くにマラソンのスタート地点があってびっくりしました。あらためて、縁のある地だったのだと感じました」(佳奈子さん)
家族そろって犬山のとりこに。利便性にも満足
新天地に土地勘はなく、知り合いもいませんでしたが、家族はすぐに犬山市のとりこになりました。新居を構えたのは木曽川まで歩いて数分の場所。「来たばかりの時は毎日鵜飼を見に行きました。緑は多いし、景色を広く見渡せるのがうれしくて」と顔をほころばせる佳奈子さんに、石井さんも「(都会とは)空気も違うね。(木曽川沿いで開かれる)朝市にもよく行きます。お米も犬山でとれたものを食べていますが、おいしいですよ」と応じます。
当時小学2年生で、環境の変化に適応できるか心配した佑奈さんも、転校初日に友達を連れて帰ってきて、両親を驚かせました。城下町グルメの定番である五平餅が好きで、よく自分で買いに行くそう。
石井さん一家は海外出張や佳奈子さんの実家への帰省でたびたび飛行機を使いますが、愛知県内には2つの空港(中部国際空港、県営名古屋空港)があって便利。名古屋市へも電車1本、30分ほどで出られます。周囲には商業施設も豊富で、「車は必要になりましたが、生活の不便はまったくない」といいます。
2022年7月には、散歩途中に一目ぼれした新築一戸建てに移り、犬山での暮らしはさらに彩り豊かなものになりました。都会と比べて濃密な地域コミュニティも、「もともとタウンミーティングなどに顔を出すのが好きなので、むしろ肌に合っています。小さいまちだからこそ行政と市民の距離が近く、市民の意見をよく聞いてもらえていると感じます」
外資系企業日本法人代表に就任し、単身赴任。妻は市の駅伝出場チームをサポート
2022年2月、石井さんは前勤めていた自動車部品メーカーの要請を受け、静岡県浜松市にある日本法人の代表に就任しました。そのため、現在は単身赴任中で、週末ごとに犬山へ戻っています。犬山での家族との穏やかな時間が、忙しい日々を支えるエネルギー源です。
「今は浜松中心の生活ですが、将来犬山に戻った時、経営者の経験を生かして、地域に貢献する事業ができればいいなと考えています。地域の農業と消費者をつなぐようなことがしてみたいですね」
佳奈子さんにも地域との新たな関わりができました。2023年、愛知県市町村対抗駅伝競走大会(愛知駅伝)に出場する犬山市チームの選考会に、佑奈さんとともに参加。これをきっかけに佳奈子さんの経歴が関係者に伝わり、愛知駅伝出場チームに協力するようになりました。以来、選手選考や練習会に参加し、アドバイスなどを行っています。
「移住の際はぜひ助成制度を調べて」とメッセージ
最後に、今後地方移住を検討する人にメッセージを。
「犬山市に限らず、自治体には移住を支援するいろいろな制度があります。特に、若い世代や首都圏からの移住には手厚い助成があることが多い。実は私たちは年齢制限で対象にはならなかったのですが、ぜひ調べてみてください」
そう語る笑顔は、新たなふるさとにたどり着いた充実感に満ちていました。
■関連リンク
犬山市Webサイト「住むまち いぬやま」
外資系自動車部品メーカー日本法人代表 石井 裕朗さん / いしい ひろあき
1967年神奈川県秦野市生まれ。大学卒業後、外資系自動車部品メーカーに就職し、横浜市で生活。2009年に外食産業に転職する。2011年、佳奈子さんと結婚。
過労により体調を崩したのをきっかけに地方移住を志し、2020年に犬山市の太陽光関連企業に転職、家族で移住。2022年から外資系自動車部品メーカー日本法人(浜松市)の代表を務める。
妻佳奈子さんは元世界ハーフマラソン選手権日本代表。現在、愛知駅伝に出場する犬山市チームのサポートを行う。