移住事例紹介

有機農業の世界へ飛び込み、大分県・臼杵市へ。未来に種をまく、若きファミリーの挑戦

東京都→大分県臼杵市
2016年移住
槌本俊貴さん・詩織さん
「槌本農園」運営

大分県臼杵市は、化学合成農薬、化学肥料を使わずに育てた野菜を「ほんまもん農産物」と名付け、独自認証制度を設けて有機農業を推進しています。
2016年に有機農業の研修生として地域おこし協力隊に任命された槌本俊貴さん。農業に挑戦したきっかけ、そして九州初上陸だった奥様の詩織さんと二人三脚で営む日々の暮らし方など、若くして農業の道を選び、田舎で暮らす一家の移住ヒストリーを紐解いてみました。

新卒!農業初心者! 臼杵市野津町に来たる

臼杵市地域おこし協力隊は、有機農業の研修生を受け入れています。全国各地から有機農業に興味のある方々が臼杵市を訪れます。槌本さんもその一人。臼杵市で初めての有機農業研修生の地域おこし協力隊として着任しました。

槌本さんは、2019年3月まで地域おこし協力隊の有機農業研修生として働いていました。取材時は、有機農家として独り立ちしたばかり。

「やることは以前とそこまで変わりはありません。土づくりをし、種をまき、育て収穫する。その繰り返しです。圃場はこれからどんどん増やしていきたい。ありがたいことに農地を貸してくれるご近所さんや、色々な方が気にかけて声をかけてくださいます」

臼杵を知るきっかけとなった、1冊の本と1本の映画

そもそも有機農業を意識し始めたのは、大学4年生の頃。東京の大学に通っていた槌本さんは、ラクロス部のキャプテンを任され、キャンパスライフを謳歌していました。卒業後は多くの学生が企業へ就職する中、槌本さんが選んだのは農業の道。

「自分は会社員には向いていないと思ったので、最初から就職活動はしませんでした。僕はどちらかといえば1人で何かを極めていく方が向いてるんです。納得できないことがあると、どうしても曲げられない性分でして…」

「1つのことを極めたいと思い始めると、人の話も聞かないくらい真っ直ぐな人なんです」と、妻の詩織さん。

そんな一本気な槌本さんは、ある1冊の本と1本の映画に出合います。
「未来へつなぐ食のバトン 映画『100年ごはん』が伝える農業のいま」という映画監督の大林千茱萸さんが記した本、そして「100年ごはん」という映画でした。これを機に有機農業への興味が高まり、臼杵市へ関心を持つようになったといいます。

「それまでは有機農業はやりたいと思ってはいたものの、まだ漠然としていました。気になる農園にも足を運んでみたりしたのですが、結局誰に教わりたいのかも曖昧なままの状態。でもこの本と映画に出合ってから明確に将来が見えてきました」と、槌本さんは当時を振ります。

遠距離恋愛を経て、結婚。二人三脚の日々

それから臼杵市の取り組みをもっと知りたいと、同市が定期的に開催している移住モニターツアー「うすきおためし暮らし」へ参加しました。当時まだ奥様ではなく彼女だった詩織さんも連れて。

詩織さんに当時の率直な気持ちを聞いてみました。

「正直なところ、どこかの会社に就職して欲しかったです(笑)。実家が千葉なのでできれば関東から離れたくなかったのも本音です。でも何を言っても聞かない性格なのは分かっていたので(笑)」。

詩織さんはすぐには臼杵市に移住せず、お互いに離れた場所で頑張るという約束で1年間限定の遠距離恋愛がスタートしました。

槌本さんは臼杵市で基盤を作り、詩織さんは埼玉で管理栄養士として働きました。そして2017年1月に入籍、4月に詩織さんを臼杵に迎え、6月に結婚式を挙げました。

臼杵の老舗料亭で挙げた結婚式。多くの友人たちも臼杵に集まった

まさに野菜作りでいうところの、土作りから収穫までの一連のステップを踏んで今ここに立っています。

畑に出て、土に触れ、息を吸い、空を見上げる

就任してまもなく、研修圃場が与えられました。有機農業は基本的に少量多品目。あらゆる野菜を植えて実践していきます。

少量多品目でいろんな野菜を植えて挑戦する。試行錯誤の連続

ジャガイモであれば、ノーザンルビー、シャドークイーン、アンデスレッド、ニシユタカ、デジマ、十勝こがね…。

ナスであれば、白ナス、青ナス、黒ナス、ゼブラナス、米ナス…など。

「同じ野菜でも品種はたくさんあって、色も味も異なります。いろんな種類の野菜をみなさんに知って欲しいし、僕自身も色々植えて挑戦していきたいです」。

他にもロマネスコや紅菜苔といった珍しい品種の野菜など、気になったものはまずは植えてみるそう。

地域おこし協力隊時代の3年間、槌本さんに有機農業を伝授した“師匠”と呼ばれる方がいらっしゃいました。藤嶋祐美さんというベテラン農家さんです。物腰が柔らかく穏やかな物言いの藤嶋さん、決して多くは語らないけど芯の通った槌本さんは、いい師弟関係のようです。

「仕事が終わってから、藤嶋さんともう1人の研修生と僕で、ずっと夕日を眺めていたことがあって。1時間くらい3人でそこに訳もなく佇んでいたこともありましたね」。

槌本さんのSNSをのぞいてみると、よく風景の写真をアップされています。そこには四季折々の景色はもちろん、朝焼けや夕暮れ、刻々と変わっていく畑から望む空など、彼ならではの視点で切り取ったものが散りばめられていました。
風が吹き、温度があり、匂いがある。どの写真からもそんな空気感が漂ってきます。畑に出て、自然と向き合う中で感じとれるものは無限です。

有機農業の魅力は、野菜と向き合ってアプローチを仕掛けること

夏は草刈りざんまいの日々、冬は霜の降りる朝の作業、途方もなく続く種まきや収穫。農業に休みはないとよくいいますが、まさにそんな日々を過ごし、正直やめたいと思ったことはなかったのでしょうか。

「…う〜ん。実はないんですよね。絞り出していうなら、1年目の冬に外でジャガイモの泥ふきしたときぐらいですかね(笑)」。

有機農業の協力隊たちからは、ストイックでマニアックだと言われているそうで、野菜のことなら槌本さんに絶対聞くという隊員もいるそう。
野菜の知識も豊富な槌本さんに、農業の魅力や好きなところを伺ってみました。

「僕、実は収穫より過程が好きなんです。土と向き合ったり、育て方に関してもいろんなアプローチをしてみたり。どうしてこうなってしまったんだろうと原因を探ってみたり。手をかけたらかけた分だけ野菜は返してくれるんです。逆にサボると全部自分に返ってきますから」。

詩織さん曰く「もし大学に行き直せるなら、農業大学に行きたいって言ってますよ」。

なるほど。研究者肌で職人気質なのがよく分かります。

そんな槌本さんの野菜は、百貨店や特定の商店などで購入することができます。臼杵市や大分市で定期的に行われるファーマーズマーケットにも出店するなど、多くの方が手に取れる機会も増えてきています。

農家と消費者が対面で野菜を販売できるのがマーケットのいいところ。野菜の特徴や美味しさについて語り合える貴重な時間

家の中は本でいっぱい。晴耕雨読とはまさにこのこと!

そんな槌本家には部屋の一画が本棚というスペースがあります。

たくさんの本に囲まれて、息子の俊太郎くんの遊び場にもなっている。ブックカフェができそう

暇さえあれば本を読むという大の本好きの槌本さん。

「基本的に雨が降ったときは家で読書をしています。でも最近は疲れすぎて寝落ちしてしまいますが(笑)」。

本棚をのぞいて見ると、農業系の本から小説、マンガまであらゆるジャンルの書籍が並んでいました。
それでもやっぱり多いのは、自然、土、野菜に関するもの。

農業の仕組みや知識を得るハウツー本というよりは、自然の真理に人間はどう向き合うべきか、そして農業はどうあるべきかを知りたいという槌本さんの思いが、本棚から溢れています。列挙されているタイトルを見れば一目瞭然です。

この地で出産し暮らしていくという、若き妻の覚悟

詩織さんは、2018年4月に俊太郎くんを出産しました。里帰り出産はせず、臼杵市内の産婦人科で出産したといいます。

「里帰りしたら3ヶ月近くこっちに帰ってこられないから。その間、主人を一人にさせとくのもかわいそうなのでこっちで産みました」。

驚いたことに、この集落に赤ちゃんが来たのは何と30年ぶりなんだとか!俊太郎くんは地区の宝ですね。

出産してからは、俊太郎くんを背中におんぶしながら、畑に出て槌本さんのサポートをしています。

「臼杵市は子育て支援センターもあるし、思っていた以上に子育てしやすいです。先輩移住者で有機農業をされているファミリーが近くにいらっしゃって。環境がうちと同じなので、奥様には同じ農家の嫁として相談に乗ってもらったり、話し相手になってもらっています」と、息抜きもできているようです。

愛があれば不便でも寒くても。あたたかさが宿る古民家での暮らし

今住んでいる古民家に越してくる前は、臼杵市野津町の商店街に近いコンパクトな家を借りていたそう。

「家族が増えることになってから、もう少し広い家を探し始めました。地域おこし協力隊を卒業するにあたり、農機具も増やさないといけないし…。幸運なことに市長とその話をする機会に恵まれ、市長が家探しの間に入ってくれり、地元の人の口添えなどにも助けられ、スムーズに見つけることができました。」

集落の中でも小高い場所に位置する自宅。敷地内は作業がしやすく、農機具もじゅうぶん格納できる広さ

現在の家は、母屋があり、離れがあり、蔵に納屋もある、まさに農村家屋。
水回りを思い切ってリフォームして、俊太郎くんを迎え、今は快適に…、
あれ? 詩織さん表情が少しだけ曇っているのは気のせいでしょうか。

「もちろん農業するには使いやすいと思います。ただ台所が土間なんです。寒いんです、とても(笑)。山も近いから動物も多いし、ねえ」。

と、ブツブツと言いながらも何だか楽しそうな詩織さん。

週3回、管理栄養士として仕事へ行き、それ以外は槌本さんと畑に出て草刈りや苗植えなど、力仕事以外にできることを手伝っているそう。

“おいしい”野菜が食卓に広がりますように

「シンプルに“おいしい”と思える野菜を作り続けたいんです」

今後の展望をたずねると、この言葉が返ってきました。

「実のところ、無農薬とか有機JASとか、そのあたりの言葉はあまり意識しないようにしています。“おいしい”野菜がみなさんの食卓に届くことが一番の願いです。作ると決めたものはしっかり作って、畑を広げていきたいですね」

槌本さんには無駄がない。無駄口も叩かなければ、動きに無駄もありません。信じたいものがあれば、赴き、実践して、自分なりに結論まで結びつけていく。

今の時代、だいたいのことは想定でき、たやすく予想ができる世の中だけど、農業という予想しづらいことから恐れず、種をまき、育て続けることを選択し挑戦している槌本さん。

それを優しくサポートしていく詩織さんと、そこにいるだけで元気の源となる俊太郎くんがきっと後押ししてくれているのでしょう。

体が自然と共鳴し馴染んでいくように、槌本ファミリーは地元に根ざし、不便すらも受け入れ笑顔に変えて、日々の暮らしを営んでいます。

自然の真理を受け止めて、動いていくのみ。
潔い家族の姿がここにありました。