移住事例紹介

3ヶ月のスピード移住。農業を「継ぐ」ために、東京から山梨へ

東京都→山梨県笛吹市
2016年移住
大野 拓己さん
農家

東京での多忙な生活を抜け出し、初心者ながら奥様のみかさんとともに、山梨県笛吹市で農業の世界に飛び込んだ大野拓己さん。笛吹市で50年農業を営んできた宮川さんご夫妻の指導のもと、後継となるべく、農業について学ぶ日々を送っています。大野さん夫妻が、山梨県笛吹市へどうして移住することになったのか、そして移住後どのような生活を送っているのかお伺いしてきました。

山梨に移住したのは「たまたま」起こった、運命的な出会いから

生まれも育ちも横浜市の大野拓己さんと、ご両親が転勤族だったためいくつかの地方で暮らした経験のある奥様のみかさんは、神奈川県にある大学の同級生として出会いました。長年のお付き合いを経て2015年10月にご結婚し、一緒に住むようになったものの互いの勤務時間が長く、ふたりで過ごす時間がほとんど持てずにいたそうです。

「僕は広告の営業をしていて、妻は薬局の調剤事務の仕事をしていました。ふたりとも毎日夜の10時過ぎに帰宅し、スーパーのお惣菜を買って食べるといった生活でした。休日が重なるのも、週1日だったので、なかなかふたりの時間が持てなくて。」

そんな中、拓己さんのお姉さまが市民農園を始めて楽しそうにしている姿が目に留まるようになりました。「姉の話をしたら、妻も農業に興味があることが分かったんです」と拓己さん。ふたりは、「自然豊かな環境で、農業をしながら子育てをする」という夢を描き、その夢に向かって行動を始めました。

「移住」というキーワードからたどり着いたのは有楽町にある「ふるさと回帰支援センター」。当初は、北陸や中国地方の有機農業が盛んな地域への移住を考えていましたが、拓己さんの実家がある横浜からあまり遠すぎないことを優先。また北杜市などで有機栽培をしている農家さんが多いことなどから、山梨県の相談窓口に向かったのだそうです。そんな気軽な気持ちで行った先で、運命的な出会いをしたのです。

活動開始から3ヶ月でのスピード移住

それが、現在農業のイロハを教えてくれている宮川さんとの出会いでした。大野さんご夫妻が山梨県の相談窓口を訪ねたその直前に、相談をしていたのが宮川さんだったのです。宮川さんは東京に遊びに来ていた空き時間に、農業の後継者を見つけるため、初めてふるさと回帰支援センターを訪れていました。その時はすれ違っただけでしたが、センターの窓口を通じて、「自然の豊かな場所で農業がしたい」という大野さん夫妻と、「農業の後継者となる都会の若い人を見つけたい」という宮川さん夫妻の思いが繋がった瞬間でした。
宮川さんの存在を知った大野さん夫妻は、すぐに行動に移しました。宮川さんと連絡を取り、その月には一度笛吹市を訪れ、畑や地域を案内してもらいました。それが2016年3月のことでした。そして、4月の下旬には、家探しも兼ねて笛吹市を再訪。2016年7月から12月の期間で、山梨県立農業大学校の社会人コースで職業訓練が受講できることを知り、5月いっぱいで前職を退職し、6月には笛吹市へと暮らしを移しました。

▲大野さんのご自宅から見える景色

「前の仕事は面白かったので、もうちょっとやりたい気持ちもあったのですが、学校の始まる時期に合わせてスケジュールを決めました。」

移住に向けた活動を始めてから、実際に移住するまでたった3ヶ月というスピードで物事が進んでいきました。「まさかこんなに早く移住することになるとは思わなかった」と驚きながらも新しい道を歩み始めました。

2年後、畑を引き継ぐことを目標に

山梨県立農業大学校での半年間では、農業の基礎を学んだそうです。土作りのこと、虫のこと、農薬のこと、それから獣害のこと。座学あり、実技ありのコースで、さらにプログラムの一環として宮川さんの畑での研修も行われました。
宮川さんの畑では、ほうれん草やルッコラ・わさび菜といった葉物野菜に加え、夏にはゴーヤーや冬瓜・ピーマン・オクラなど、常時5~7種類の野菜が栽培され、地元スーパーへと卸されています。栽培から出荷までの段取りを話してもらい、あとは実際に手を動かしながら教えてもらっていると言います。

「宮川さんはとても優しいですね。面倒見がいいというか世話好きというか。今暮らしている住宅も、宮川さんが笛吹市の移住定住担当に照会してくれたおかげで知ることができたし、ここでは車が必要なのですが、その手配も宮川さんがしてくれました。東京から笛吹市に引っ越してきた日、高速バスで来たのですが、車を用意してくれた自動車工場の方がバスの停留所で待っていてくれました。これも宮川さんが手配してくれて。」

4月からは、県の就農定着支援制度推進事業を利用し、アグリマスター(※)である宮川さん夫妻の指導の下で、さらなる研修を受ける予定でいます。そして、研修終了の2年後には、宮川さんと園主をバトンタッチし、大野さんが主導となり野菜を育て、新たな販路の拡大を目指します。血縁のない第三者に経営を引き継ぐということは、山梨県でも前例のない試みです。

※新規就農者の育成に高い見識と能力を持ち、かつ十分な研修環境を提供できる農業者

これまで築いてきたものにプラスアルファしてくれる、若い感性を求めていた

「個人の農家さんは跡継ぎがいなかったら、畑を誰かに貸して、農機具は売却してしまうケースが多いそうです。今近所のおじいちゃんやおばあちゃんが畑を手伝ってくれているんですが、楽しんで働いてくれています。そういう(自分の畑でなくても)働ける場所があるのっていいよねって、宮川さんはいつも言っています」と拓己さんは話してくれました。

それに対し宮川さんも、今回後継者を探した理由を教えてくれました。

「ここまで来るのに、お父さんは農業高校を卒業してから50年かかったの。農業っていうのは時間もかかるし、お金もかかるものなの。時間をかけてやっとここまで築けたのに、途切れちゃったらもったいない気がしてね。だから、私たちが元気なうちに、農業をやりたい人に来てもらって、色々教えてあげたいと思ったんだよね。私たちが50年かかって辿り着いたレベルまで、短期間で到達できるように。」

その思いを持って、ふるさと回帰支援センターを訪れた宮川さん。大野さんには大きな期待を抱いています。

「ある程度のレベルまで短期間でマスターしてもらったら、その先も考えて欲しいと思っているのね。今の農業は作ることと売ること、両方を同時に考えていかなきゃいけないしね。だから都会の若い感性の人に、プラスアルファしてもらい、私たちにできないことをやって欲しいよね。」

やり始めたら、だいたいうまくいく

大野さん夫妻の暮らしは、東京にいた頃とはすっかり変わりました。仕事の時間が東京にいた頃に比べ大きく減ったため、家族で過ごす時間が増えました。ご近所さんからのいただきものの野菜や果物で、食卓は潤っています。畑での作業を「仕事だけど、生活みたいな感じ」と表現する拓己さん。みかさんも今の生活は「気持ちに余裕ができて、ストレスフリー」と語ってくれました。

この生活を手に入れられたのも、自分たちの気持ちに正直に行動し、直感を信じて選択を重ねた結果です。「考えるより行動するタイプなんですよね。やり始めたら、できないことはないんじゃないかと思うんです。やってみたらだいたいうまくいきますよ。だから行動するのが一番いいと思います。」

みかさんが自然豊かな場所で農業がしたいといったことがきっかけで、移住へと進み始めたお二人ですが、生活が成り立つか不安に思う時もあったそうです。そんな時でも拓己さんは自信と前向きさで、積極的に道を切り開いてきました。

今後は野菜だけでなく果樹の栽培も視野に入れ、前職の営業経験を生かし販路拡大を目指す拓己さん。実はお二人の親御さんは農業への関心が高く、ゆくゆくは呼び寄せ一緒に農業をしたいのだそうです。着実に夢への一歩を踏み出しています。