移住事例紹介

東京でのシステムエンジニアからのキャリアチェンジ。岡山県笠岡市での漁師暮らし

東京都→岡山県笠岡市
2009年移住
成瀬 義彦さん
漁師

岡山県笠岡市で漁業を営む成瀬義彦さんは、もともと東京でシステムエンジニアとして働いていました。単身岡山県へ移住し、趣味を通じて出会った奥様とご結婚したあと、ふたりのお子様を育てながら暮らしを楽しんでいます。成瀬さんが、どのように現在の暮らしをするようになったのか、移住の経緯や現在の暮らしぶりについて伺いました。

自分を見失っていた東京での暮らし

埼玉県出身の成瀬さんは、社会人になって2年程でシステムエンジニアとして独立しました。ブログの誕生や、携帯電話のiモードサイトへの移行、そしてスマートフォンの登場といったシステムエンジニアにとって激動の時代に、フリーランスとして日々勉強をし続け、顧客を得てきました。
「東京にいる時は、がんばる理由というのがなかったんです。それでも仕事は成功しました。でも、成功したものの、当時は趣味もなかったのでどうお金を使っていいかわからなくて。それで、2年半の間にどんどん高い家賃のマンションに引っ越しを繰り返したんです。気付いたら固定費だけで相当な金額になっていました。何をしているんだろう、と自分でも感じていました。楽しくなかったんですね。」

そんな生活を続けていたある時、たまたま友人に誘われたサーフィンに夢中になり、千葉県の外房エリアに通い続けました。
「外房って東京から片道2時間くらいかかるんです。サーフィンをすると疲れてとても眠くなるので、運転するのも危険だなと思い、外房に民家の一部を借りることにしました。」
その外房の拠点がとても気に入ってしまった成瀬さん。システムエンジニアという場所を選ばない仕事だったこともあり、外房の拠点を仕事ができるよう環境を整えて、1~2週間千葉で過ごしては東京に戻るという2拠点生活を始めました。

山と海に囲まれた、自然豊かな岡山の環境に魅せられて

そしてその後、成瀬さんに転機が訪れました。友人の帰省の際に一緒に岡山市を訪れたところ、山や海に囲まれた岡山の環境を、一目で気に入ってしまったのです。
「とりあえず東京を離れて一回リセットしようと思いました。それでお客様に説明して回って、岡山で仕事をする環境を整えました。準備期間2ヶ月で、岡山市に来ましたね。」

幼少の頃から、お父様の仕事の都合で全国を転々としていたという成瀬さんは、暮らしの場所を移すことに対する抵抗が全くないのだそう。それで岡山にも、身軽に移動をしてきました。
「岡山後楽園の年間パスポートを買って、園内の東屋にノートパソコンを持って行って仕事をしていたこともあります。ああ、これは幸せだなあって思いましたね。」

岡山駅から徒歩圏内のマンションだったため、生活スタイルは東京にいた頃とそれほど変わらない街暮らしをしていましたが、自然に触れ合いたいと趣味でパラグライダーを始めました。

▲空から見た笠岡市

「お客さんが東京にいて、会議や打ち合わせがなければ東京に行くこともなくなったので、それだけでも仕事から解放された感じはあったんです。加えてパラグライダーで多い時にはほぼ毎日飛んでいたので、だいぶ気分が変わりました。東京にいた頃は、『お金がなくなったらまずいから稼ごう、売り上げが伸びて余剰金ができたら使わなくちゃ』という、変なサイクルに入っていました。でも岡山に来てからは、必要な分だけ稼ぐというスタイルに変わって、少しずつ売り上げを抑えていきました。」

パラグライダーが結んだ縁

パラグライダーを始めたことで得たのは、仕事からの解放感だけではありませんでした。人生の伴侶となる奥様に出会ったのです。
「パラグライダーって風待ちするんですよ。風向きや強さによっては、1日いても1本も飛ばずに帰ることもあるんです。天候がよくなければみんなでケーキを食べにいったりしていました。それで仲良くなってすぐにお付き合いをスタートしました。」

▲縁を結んだパラグライダー

生まれも育ちも岡山市の奥様と、出会って1年後に結婚をしました。

結婚を機に退職した奥様と、元々場所の制約を受けない働き方をしていた成瀬さん。パラグライダーをするために通っていた笠岡市へ暮らしを移すことを検討します。
「笠岡に引っ越すことをパラグライダー仲間に話すと、島暮らしもできるんじゃないかというアドバイスをもらったんです。島暮らしって、映画とかを見て憧れていたんですよね。それで妻に相談したら、妻も住みたいというので、どんな島があるのか調べました。」
こうして結婚して1年経ったころには、夫婦で島暮らしをすることを決めました。

▲奥に見えるのが高島

システムエンジニアから漁師へ

笠岡市の港から一番近い島、高島。全周6キロ、住民約50名の小さな島です。
「高島の住民の方々からは、港に無料で船の置き場所を用意するし、歓迎するって言ってもらったんです。交通手段が限られる離島暮らしを始めるにあたって、自前の交通手段を用意することは不可欠と考えていましたので、置き場が解決できたことで移住を決め、すぐに妻と二人で小型船舶免許を取得しに行きました。」

高島では、春に山菜やタケノコを採りに行ったり、おにぎりやお弁当を持って山を登り、東屋でお弁当を食べたりと、自然豊かな環境を満喫したそう。

そして成瀬さんは、この島で大きなキャリアチェンジをすることを決意しました。それが、現在の職業である漁師です。システムエンジニアの仕事と並行して、漁師の准組合員として漁業を開始し、90日間の漁業日数を経て晴れて正組合員になりました。漁業を始めるにあたり、成瀬さんの場合は200万円程度の投資が必要でしたが、その資金はシステムエンジニアの仕事で得た利益から拠出しました。投資を完了させ、漁師としての最低限の技術を身につけるまでの3年ほどは、ふたつの仕事を掛け持ちしていましたが、今は漁師一本です。

「60歳のフリーエンジニアに会ったことがないし、自分がそうなれるとも思わないんですよ。でも、高島には70歳の現役漁師がいる。こっちの方がいいじゃんって思いましたね。システムエンジニアの仕事は、いつでも新しい技術を習得して、仕事の主軸を変えないといけないんです。基礎情報の収集も大変です。でも漁師は一度やり方を覚えれば変わることはないですから。」

眩しい笑顔のあふれる幸せな日々

3月中旬から6月にかけての繁忙期には、寝る間もなく働くそう。昼間に潮の加減を見て、潮の高さに合わせて網を入れに行く。そして夜に定置網を回って魚を獲り、夜中に出荷。それが終わると、建網にかかった魚を集めて、朝方6時から8時まで仕事をする、というサイクルなのだそう。この期間に、年間の半分以上の水揚げとなり、あとの時期はゆったりとしたペースでの漁業となります。

「今でも色々自分で作るくらいウェブ開発の仕事が大好きなんです。社会人になりたての会社員の頃も楽しかったですよ。好きな仕事じゃないとやる気にならない人間なので、好きなのは大前提なんですけど、楽しい度合いってあるじゃないですか。今、漁師の仕事はすごく好きな仕事で、最高に楽しい状態ですね。海に出ていれば幸せって感じです。」

港を歩けば、誰もが成瀬さんに声を掛けます。それに成瀬さんも楽しそうに応えます。5年間の島暮らしの中で、居心地のいい温かな人間関係を築いてきたことがわかります。そして、ふたりのお子さんにも恵まれました。現在は子育てのため島から離れ、笠岡市内の一戸建てで暮らしています。

さらに理想の暮らしを目指して

現在成瀬さんは漁業一本で生計を立てていますが、理想は他のところにあるようです。
「小さな仕事をたくさんできるのが理想ですね。ひとつがダメになっても他でカバー出来る体制を整えておきたいと思っています。漁業の閑散期には、家の近所の農地を買って家庭菜園をやりたいと思っているんです。高島の空いた土地にイチジクを植えるのもいいなあと思っています。」
農家でなくても農地を購入することができる笠岡市。畑で採れたものを食卓に並べるだけでなく、余った分を販売することも頭にあるそうです。

やりたい気持ちに正直に、傍から見ると気軽に様々な行動を起こしているようにも見える成瀬さんですが、「やりたい」を実行に移すまでには、かなり調査をして、考え抜き、計画するのだそうです。「博打が嫌いなんです」と語る姿からは、ストイックに自分の人生を楽しみ、フィットする暮らしを選択し続けるための、軽やかさと芯の強さが感じられました。