移住事例紹介

岐阜にIターン移住し、全国にWebのおもしろさを広めるための会社を経営

東京都→岐阜県岐阜市
2012年移住
川口 聡さん
株式会社リーピー 代表取締役

岐阜県岐阜市は、山や川に囲まれ、自然豊かでのんびりした雰囲気があります。加えて、県庁所在地としての町の雰囲気も併せ持つ、そんな地域です。
福岡県久留米市で育った川口聡さんは、23歳で東京で就職し、28歳のときに結婚とともに岐阜県岐阜市に移住。現在はIT系の会社を経営し、地方移住や地方活性の問題に挑んでいる川口さんにお話を伺いました。

移住先は岐阜市。そこは歴史と、ちょうどいい田舎がある町

金華山山頂から見る岐阜市の風景

岐阜県岐阜市は濃尾平野の北端にあります。
「名古屋から快速電車で20分だよと言うと、よく驚かれます。意外と田舎ではない地方都市です。」と川口さんは話します。

市内を横切る、日本三大清流の一つ「長良川」を中心に市民は生活をしています。
少し足を伸ばせば観光地である高山や下呂、県外では京都や大阪、金沢などにも行ける、日本の地理的中心地である岐阜県の県庁所在地。人口は40万人で、全国に792ある市の中でも44番目の人口数を誇ります。

「岐阜市は、歴史好きの方が数多く訪れている印象です。」と川口さん。
歴史的には、織田信長が楽市楽座政策で城下町を作った岐阜城や、1,300年以上続く伝統的な漁法・鵜飼などが有名です。

最近では、伊東豊雄の設計で有名な近代的な図書館・メディアコスモスがオープンし、歴史と今の交じり合う町に変化をしています。

福岡で生まれ育ち、東京のベンチャー企業で修行

中学から大学まで10年間育った、福岡市の百道浜付近の風景

「実は、僕の出身は福岡なんです」と川口さんは笑う。

今でこそ岐阜市になじんでいる川口さんだが、実は、生まれも育ちも福岡県。
1983年に、当時人口28万人の福岡県第三の都市である久留米市で生まれました。

「中学・高校・大学と福岡市の学校まで2時間かけて通学する毎日でした。」と当時を振り返ります。

「大学時代は学祭実行委員の活動に明け暮れていました。当時「さくら」が大ヒットしていた、森山直太朗のコンサートを企画するなど、さまざまなことに取り組みました。結果、学内ではそれなりに目立つ存在になっていましたね(笑)。」

大学4年生の時には、国内初の卒業記念DVDを作成し、卒業生2,000名の内7割にも上る学生一人ひとりのコメントを収録。とにかく新しいこと、学内が驚くようなことばかり考え、大学に入り浸る毎日を過ごしていたそうです。

川口さんは、福岡の大学を卒業後、東京のベンチャー企業に就職。

「若気の至りからか、福岡での生活にはどこか狭さを感じ、就職は東京の人材系ベンチャー企業を選択しました。とにかく成長を追い求め、徹夜する毎日を過ごしていました。」

それなりに成績も上げ、同期最速で昇進。
社会人4年目の26歳の時に社内の新規事業立ち上げを担当することになり、ECコンサルティング、インターネット通販を展開する企業への支援ビジネスを始めたことが現在の仕事の始まりになったそうです。

「就職活動でもIT企業ばかりエントリーして、IT企業に行くとばかり思っていたなかで、ひょんな縁から入ることになった人材系ベンチャー。やりがいはありつつも、心のどこかではITの仕事がしたいと考えていたこともあり、ECコンサルティングという新規ビジネスに携わるようになった時は、心の底から充実感を感じていました。」

始めは1人だった部署ですが段々と人数が増え、展開エリアも関東から全国に広がり、事業が拡大していく喜びと苦労を感じながら、2年半ほどを過ごします。

だんだんと強くなった、地方への想い

当時見た夕陽の写真に似た写真(これはイメージです)

事業が拡大する中で、全国、特に地方への出張も増加。
地方の人々と触れ合う中で、もともと福岡県久留米市という地方都市で生まれ育ったせいか、地方を良くする仕事をしていきたい、と感じるようになったそうです。

「ある日、新潟県柏崎市に出張をしていた時です。
いつも通り、営業先から最寄り駅まで徒歩で2kmはあったと思います。その道のりで、たまたま見た夕陽があまりにも綺麗で、その時に『自分で会社をやろう。』と、ふと思い立ちました。」
と当時の夕陽を思い出します。

「それから独立しようと考えたものの、じゃあどこでやるか?までは全然考えていませんでした。ビジネスのやりやすさを考えれば東京だったと思います。」

しかしインターネット分野の地方への支援を考えた時に、東京で始めるのも説得力がないということで、福岡へのUターンを考えたそうです。

川口さんは、この数ヶ月前に第一子が誕生し、いわゆる待機児童問題に直面し、保育園探しに奔走していました。
さて、これからの三人の生活をどうしよう、と考えていた時期でもあったそうです。

川口さんの結婚について、こんな仰天エピソードも話していただきました。
「岐阜県岐阜市出身の妻とは東京で出会い、結婚しました。これは誰に言っても驚かれるのですが、初対面で3時間後に婚約し、そのまま本当に結婚した、という、少し普通ではない形です。ある日を境に急に人生が変わった結婚でした。」

その日は突然。岐阜への移住を思い立つ

東京最後の日に娘・遥子(はるこ)ちゃんと阿佐ヶ谷商店街を散歩

そんな家族のことも色々と考えなければいけない中、仕事は忙しく、朝早くから夜中まで働く日々。

当時住んでいた阿佐ヶ谷の駅から自宅までの道を歩いている最中に
「そうだ。岐阜、行こう。」
と、某鉄道会社の旅キャンペーンのようなノリで、ふと思い立ち、
帰宅して早々、奥さんに「会社辞めたら、岐阜行こうか。」と話したそうです。

「岐阜は、結婚前の顔合わせや年末年始などに帰省していただけで、当時全く知らない土地でした。」
全く縁もゆかりもない土地に移住することに、不安や問題はなかったのでしょうか。

川口さんは、奥さんの仕事や、お子さんの待機児童問題、川口さんの問題もほぼない状態で、移住をすることをすんなり決めることができたと語ります。

「岐阜で分かるのは家族と親戚の一部のみ。当然、友人や知り合いもいません。とはいえ、妻は名古屋本社の会社(当時は東京勤務)でしたので、岐阜に戻っても今の会社のまま働くことができます。子どもの保育園は、岐阜に行くと待機児童問題もなく、すぐに入ることができ、問題なく共働きができる状況でした。僕はというと、なんとなく、実際にはあまり深く考えず、岐阜でも何とかやれるんじゃないかな?と、根拠のない自信も持っていました。」

本当に誰も知り合いがいない中でのスタート

会社の創業初日。テーブルを買いに行ったら、入荷待ちで間に合わず…。

2012年10月末、ついに岐阜市へのIターン移住を開始。家は妻の実家で二世帯暮らし。実家の一部屋を事務所として借りて、まずはフリーランスとして独立したそうです。

「岐阜市に移住して最初に思ったことは、「生まれ故郷の久留米市に似ているなぁ」ということです。人口は40万人と30万人で大して変わらない。生活の中心には大きな川が流れており、周りを見渡すと山も見える。典型的な地方都市。でもそこまで田舎じゃないので、不便ではない。ブランド物もショッピングモールで買える。(買いませんが。)」

大きな違いは人の環境だと語ります。
「岐阜では家族しか知り合いがいないので、毎日誰とも話さず部屋にこもり、パソコンと向かうだけの日々でした。」

フリーランスになって1年経ち、会社設立を思い立ちます。
「そうすると、自分一人でやっていることに飽きてくるんです(笑)。それならば、会社にして人を増やしていこうと、独立して1年後の2013年10月に会社を設立しました。それが今の株式会社リーピーです。」

子育てとベンチャー経営が生活の中心

マイホームの前で家族写真

2017年に三人目の子どもが生まれたことをきっかけに、2週間の育休を取ったそうです。
「経営者なので、育休という制度として取ったわけではなく、正確には2週間のお休みを頂きました。その時に、とにかく育児・家事は全部、本当に全部やりました。」
その時に苦労した経験が、その後の価値観に大きな変化を与えました。

「子どもの今は、今しかない。」

そう考えるようになると、子どもが何かをできるようになった瞬間に立ち会えることは大きな喜びです。

「それから、働き方を大きく変え、育児・家事を中心とした生活に切り替えました。朝は必ず保育園に送り、夕飯の時間には帰宅し、子どもが寝るまで一緒に過ごす。しかし仕事もたくさんあります。なので、子どもたちが寝静まった21:30頃に会社に戻り、深夜まで仕事をします。」

「個人的には、これは究極のワークライフバランスではないかと考えています。もちろん、経営者という労働基準がない立場なのでやっているだけで、社員にはそのような働き方をさせていません。ご安心ください。」

こうして、家族との時間、社長としての仕事と川口さんにとって最適なワークライフバランスを実現できたそうです。

社員の半数が移住者で構成される会社

川口さんの移住についての見解を伺いました。
「移住が成立するのは、『仕事』か『結婚』のタイミングだと考えています。それ以外に、その町が気にいったから、という理由で移住するパターンは極めてレアケースです。」

また、岐阜市への移住を積極的に勧めているそうです。
「今働いている社員は、県外出身者が半数です。青森、新潟、三重、滋賀、兵庫、佐賀など、県外から岐阜市に移住をして、働いています。」

移住者の共通点についても語っていただきました。
「共通するのはみんな、地方暮らしが良いと思っていることです。都会の生活も刺激的かもしれませんが、地方特有のゆっくりとした空気感を好むメンバーが多いです。」

川口さんは、岐阜市の魅力を改めて感じているそうです。
「岐阜市は今でこそ、ほんの少し待機児童がいるようですが、全国的に見れば、少ない方です。実際、子育てをするために当社に転職をしてきた男性社員もいます。子育てにも良い町、岐阜。住みやすい町ですよ。」

Webによる地方創生支援を全国で

最後に、川口さんからコメントをいただきました。

「移住を勧めるのと同時に、会社の働きやすさも追求していきます。一人ひとりの生活やキャリアを尊重し、岐阜や地方活性化の魅力を伝えながら、会社を大きくしたいと考えています。」

「これからも僕は、Webによる地方創生支援を全国で展開し、全国から移住してでも働きたくなるような会社創りに励んでいきます。」

岐阜市に移住して、家事・育児と仕事の両立を実現している川口さん。
今後はどのように岐阜市を盛り上げてくれるのか、目が離せません。