移住事例紹介

「ここに本物があった」 教えてくれた久万高原での山暮らし

東京都→愛媛県松山市→久万高原町
2011年移住
河谷隆介さん、名保さん
トマト農家研修生

首都圏に暮らし、そろって総合電気メーカーに勤務していた河谷隆介さん、名保さん夫妻は、東日本大震災を機に愛媛県こうげん町に移住しました。長男が産まれ、隆介さんは専門学校講師を経てトマト農家の研修生になり、ついには3軒の家と畑の所有者に。会社員時代と比べると収入は大きく減りましたが、自分たちの手で作り上げた生活のなかで夫妻は「本物を見つけた」と言います。

■「一緒に夕飯を食べられない」結婚生活

大学院の先輩後輩で同じ会社に就職し、結婚後も共働き。終電ギリギリまで仕事をし、早く帰った方が慌ただしく家事を片付け、気がつけば夜中です。ふたり一緒に過ごす時間は睡眠を除くと1時間もありません。土日はくたびれて、寝て過ごすことが多かったという移住前の暮らし。

▲移住後に空き家を購入し、町の住宅改修支援事業を活用してリフォームしたキッチンに立つ河谷さん夫妻

隆介さんは「一番信頼できる人と結婚したのに、会社にいる時間が、家族と過ごすよりも長い。夕飯も一緒に食べられない毎日に、これが結婚生活なのか、と思いました」と振り返ります。

一方、当時の生活を「リレーのようだった」という名保さんは、大学時代を都心で暮らした経験から「いつか山で暮らしたい」と考えていました。

「結婚する時に『田舎に住ませてほしい』と言われていたので、郊外に引っ越したのですが『もっと田舎がいい』と言われました」と隆介さん。関東地方で納得のいく住処を探していた時に起きたのが、東日本大震災でした。

■松山市から久万高原町へ 山ぐらしを目指して再移住

「福島第一原発を起点に500キロ、1000キロと円を書き、円の外にあったのが、九州と四国でした。はじめて行った四国で、松山が想像以上に都会だったので驚きました。『ここなら仕事がありそうだ』と思ったんです」

2011年5月に松山市へ移住。隆介さんは前職のシステムエンジニアで得た知識を活かし、専門学校講師の職を得ました。しかし、松山市は人口50万人の四国最大の都市。名保さんにとっては、「都会すぎる」場所でした。

▲隆介さんが勤務する農業研修施設近くには、里山の景色がひろがる

「山での生活に興味があるなら」と知人に紹介されたのがこうげん町。名前の通り、平均標高800メートルの高原にあり、西日本最高峰の石鎚山や面河渓谷、日本三大カルストの四国カルストなど豊かな自然に彩られた町です。一方で、松山市の中心部まで車で約1時間というアクセスの良さも特徴。2012年4月に久万高原町に移り住んだ後も、隆介さんは松山の専門学校に通勤を続けることができました。

■働く時間を決められない働き方を トマト農家への転身

自然豊かな山間地に暮らし、都市部で収入を得るスタイルは理想的な暮らしのように思えます。約1時間のマイカー通勤も首都圏での満員電車に比べれば「楽だった」という隆介さんですが、5年間勤めた専門学校の講師を辞め、町の特産品であるトマト農家になるための研修を受けることを決めました。

「少子化で20年後には、専門学校に通う生徒の数も減ると思います。代わりに社会人を相手にするようになれば、仕事は夜です。また、家族で夕食を一緒に食べられない生活を送るのか。それなら、誰かに働く時間を決められない働き方をしよう。そう思ったんです」

▲研修用のハウスでトマトの管理をする隆介さん

久万高原町はトマト農家を育成するため、研修制度を設けています。町内に研修施設があり、最長2年間の研修期間中は月額12~15万円の研修費も支給されます。隆介さんは2017年4月に研修生になり、トマト農家としての一歩を踏み出しました。研修生に貸与されるビニールハウスを使い、実際にトマトを栽培して技術を身につけていきます。

サラリーマン時代と比べると収入は激減し、トマト農家として独立を果たしても収入が安定する保証はありません。それでも、家族で朝晩の食卓を囲む毎日に、隆介さんは「生活は豊かになった」と言います。

■「本当に贅沢」な環境で子どもを育てる

久万高原町への移住後に誕生した長男の聡一朗くんは3歳になり、近所の幼稚園に通い始めました。園児はわずか7人ですが、隣接する小学校では生活科の時間に「幼稚園の子供と遊ぶ時間」が設けられていて、遊び相手には事欠きません。

園庭の側でブルーベリー狩りや栗拾いをして食べては、連絡帳に「みんなの机の下は(栗で)大変なことになっていました」と書かれる園での生活を名保さんは「本当に贅沢だ」と言います。

▲夏にはいただきもののキュウリとトマトを湧き水で冷やす。聡一朗くんは採れたての野菜や果物に囲まれて大きくなっている(河谷さん提供)

「東京に暮らしているころは、“本質”とか“本物”を追い求めていました。子供にもより良い環境を与えてあげたいと思っていたので、東京で出産、育児をしていたら、お受験ママになっていたかもしれません。だから、生まれて最初に与えられたのが、こういう環境で良かったと思うんです」

一方、隆介さんは「大人にこそ、こういう環境があることを知ってほしい」と言い、言葉の背景にある「価値観の違い」を説明してくれました。

■止まることができない都会生活から 移住で変わる価値観

「都会では、生活を他人のシステムに依存しているので、存在するだけで生活コストがかかりますよね。収入を得続けなければ生きていけないので、転職といえば、収入を上げることが大きな目的になります。でも、ここでは300万円もあれば十分暮らしていけるんです」

家を借り、電車に乗り、スーパーで買い物をする。住み続けるためには、働き続けなければいけない都会の生活。一方、久万高原町には、周囲には自分たちの手で生活を作る人が多く、得意な分野で協力し合ったり、収穫した野菜を分け合ったりする機会も少なくありません。

▲空き家の屋根を修理するため、瓦を載せる前のルーフィング張りをする隆介さん(河谷さん提供)

河谷さん夫妻も「生活のなかで、自分でできることは自分でやりたい」と思うようになったといいます。隆介さんは購入した空き家の壁を塗り、屋根を直しています。名保さんはアレルギーのある聡一朗くんのために水と小麦、塩だけでパンを焼きます。

こうした暮らしは、生活コストを下げるだけではない変化ももたらしたと名保さんはいいます。

「自分でパンを焼くようになってはじめて、パンがどうやって作られているのかが分かりました。手ぬぐいの方がすぐに乾くので、タオルよりも日本の気候には適しているとか。ここで暮らしはじめて、世の中の仕組みを知りました。都会では大きなボウルのなかに暮らしていて、どこまで掘っても地に足付かない気分でしたが、移住して『なんだ、ここに本物があった』と思ったんです」

▲名保さんが焼いた自家製のパン。外はカリッと中はもちもちとした食感だ

 

取材時も約束の時間に合わせてパンを焼いてくれました。焼きたてのパンは中からしっかりと温かく、ずっしりとした手応えがありました。

■移住で感じた「自分をさらす」ことの必要性

久万高原町には河谷さん夫妻のような暮らしを求め、移住する人が増加しています。

一方で名保さんは「移住したい人は田舎で自分をさらす必要がある」と指摘します。
「地元の方からも色々なことを聞かれました。『ご主人はどんな仕事をしているのか』とか、『子供はいないのか』とか。それぞれの質問に丁寧に答えました。最初は様子をうかがっていた周囲の人も、子供が生まれても出ていかない私たちに『これは本気で久万高原に住むつもりだ』と感じたようです」

▲購入した空き家に施された美しい木の細工。新築の家にはない味わいがある

最初は町営住宅に住み、畑に興味があると言い続けたら、交番に勤務する警察官が借り手を探している畑を紹介してくれました。現在、暮らす家も知人の紹介。所有者の異なる空き家と畑が同じ区画に混在しており、所有者の厚意に助けられながら、3軒の空き家と畑をまとめて購入することになりました。空き家を購入した経緯を振り返り、名保さんはこう言います。

「ずっと空き家を探していても巡り合わなかったのに、まとめて3軒買うことになったからびっくりしました。でも、自分たちのニーズだけを押し通すと、田舎暮らしはうまくいかないと思うんです」

取材に飽きた聡一朗くんが隆介さんの身体によじ登り始めました。遊びは次第にエスカレートし、ふたりは畳の上を転がってじゃれ合います。

そんな光景を見て「こっちにきてから、主人の顔が生き生きしてるんです」という名保さんの表情は、とてもうれしそうでした。

▲やんちゃ盛りの聡一朗くんは、撮影の間も元気いっぱいだ