移住事例紹介

53歳で始めたセカンドライフ。伊予市郡中地区で見つけた新しい生き方

京都府→愛媛県伊予市
2017年移住
吉田 克浩さん
伊予市観光協会勤務/まちづくり郡中「まちづくり特命係」

関西地方で生まれ育ち、銀行マンとして働いていた吉田克浩さんは53歳で定年退職し、愛媛県伊予市へ移住しました。移住後は積極的に地域のイベントに参加し、今年4月には市観光協会の補助職員として再就職。「もっともっと地域にかかわりたい」と話す吉田さんのアクティブなセカンドライフが動き始めています。

田舎暮らしを目指したはずが…便利な場所へ移住

JR予讃線の伊予市駅と伊予鉄郡中線の郡中港駅、2つの駅が向かい合います。そこから西へ数分歩くと海に突き当たり、駅と海の間には古い商店街。シャッターが閉まった店も多い商店街を愛車のロードバイクで走り抜け、吉田克浩さんは職場へと向かいます。

愛媛県伊予市の中心部にある郡中地区。県庁所在地である松山市の通勤・通学圏にあり、公共施設や病院、スーパーなどが平坦な地形にコンパクトにまとまっていることから「歩いて暮らせるまち」として徐々に移住者が増加しています。

高台から望む伊予市郡中地区

▲高台から望む伊予市郡中地区。「歩いて暮らせるまち」として移住者が増えている

「駅がふたつあって、自宅から歩けるところにスーパーもコンビニもあります。空港も車で20分だし、インターチェンジへも車で5分。本当に暮らしやすい地域だと思いますね」

移住して間もなく1年になる吉田さんは、郡中地区の住み心地を語った後、「でもね」と苦笑して、こう教えてくれました。

「こんな便利なところに住んでいると友人に笑われるんですよ。『たしか、田舎暮らしがしたいと言って移住したはずだよな?』って」

違う世界を見たい。55歳を目指して動き始めた移住先探し

吉田さんは大阪府で生まれ育ち、26歳で結婚してから、京都市で暮らしました。関西の銀行に勤務し、自治会長を務めるなど地域行事にも積極的に参加。暮らしぶりには何の不満もありませんでしたが、40代半ばごろから漠然と地方移住を考えるようになったといいます。

「ずっと都会暮らしだったので、人生の後半は静かなところで、ちょっと不便を感じながら暮らしたいと思うようになりました。銀行という固い業界で20年間働いたので、違う世界に触れたかったという気持ちもありましたね」

本格的に移住を考えるようになったのは50歳を過ぎたころ。旅行で訪れた先々で、地方の人手不足を見聞きし「都会では私がいてもいなくても関係ないけれど、地方なら、私でも役に立てることがあるのではないかと思うようになりました」

▲趣味の旅行で移住への気持ちを強めた吉田さん。写真は岡山県を訪問した際の様子(吉田さん提供)

30代で両親を亡くし、「自分に60歳以降の人生があるかわからない、という気持ちがあった」という吉田さん。一般的な定年よりも5年早い55歳での移住を目指し、2015年冬から移住先探しが始まりました。

移住時期を早めた2つの転機

「旅行でも東日本にはあまり関心がなくて、西日本にばかり行っていました。なかでも、瀬戸内の風景が好きで、移住をするなら瀬戸内がいいと思っていたんです」

雑誌やテレビで情報を集め、移住フェアにも参加をするようになりました。転機となったのは2016年9月に開催された「中国四国もうひとつのふるさと探しフェアin大阪」。そこで、郡中地区の地域づくりや移住支援に取り組む「まちづくり郡中」のメンバーに出会ったのです。

「フェアに参加するまで伊予市の名前も知りませんでしたよ。でも、受付後にアンケートを書いて振り返ったら、そこに『まちづくり郡中』のブースがあって。目が合うと手招きされたのでブースに座ったら、11月に移住体験ツアーがあることを教えてもらったんです」

同じころ、もうひとつの転機がありました。勤めていた銀行で、53歳から定年退職できることが分かったのです。「あと半年で定年退職ができるかもしれない」。当時52歳だった吉田さんの心は躍りました。

「人事部から53歳以降のキャリアについてヒアリングがあり、関連会社への転籍や出向を希望する人が多いなか、私は『地方移住をしたい』と伝えました。異例のことだったようで、人事の担当者も驚いていましたよ」

予定よりも2年前倒しで動き始めた地方移住への道。しかし、具体的な移住先はまだ決まっていませんでした。

腹をくくろう。「エイヤー」で単身移住を決意

初めて郡中地区を訪れたのは2016年11月、まちづくり郡中が主催する移住体験ツアーに参加した時のこと。

「郡中を訪れて、ピンと来たわけじゃないんです。(シャッターばかりの)商店街を見てびっくりしましたが、何もない感じが自分に合っていると思いました。あと、海と山の両方が近くにあるというのはよかったですね」

翌年2月に定年退職し、3月には愛媛県全体をまわる移住体験ツアーにも参加。県内各地を見て愛媛への移住を決めたといいます。

「愛媛なら、郡中にしようと思っていました。住む家は見つかると思っていましたが、仕事はどうだろうという不安はありましたね。ただ、ここまできたら腹をくくろうと思い、『エイヤー』で移住を決めました」

▲吉田さんも参加した県主催の移住体験ツアー

2017年7月、吉田さんは郡中に移住。妻を京都に残しての単身移住でした。実は、移住のステップのなかでも大変だったのが妻の理解を得ることだったそうです。

「53歳で退職して移住すると言うと、妻には猛反対されました。移住そのものへの反対ではなく、次の仕事も決めずに退職することで、その後の生活が不安だったようですが、1か月近く説得して、ようやく納得してくれました。ただ、生まれも育ちも京都の妻は友達も仕事も京都にあるので、まずは私ひとり移住をすることにしました。子供たちも独立していますし、お互いに愛媛と京都を行き来する、そんな夫婦の形もいいんじゃないかと思っています」

難航した職探し。打開策はみずから広げた人脈

吉田さんは今年4月、市観光協会の補助職員として就職しました。移住から就職までにかかった時間は約8カ月。予想していた通り、仕事探しは難航したといいます。

「まず、正社員の仕事が少なく、なかでも思うような仕事はなかなかありません」

吉田さんも銀行員の経験をかわれ、経理や財務といった仕事の誘いはありましたが、「違う人生を歩みたいので、金融の仕事はしたくない」とこだわると、条件に合う仕事は見つかりませんでした。

仕事が見つかるまでの間、ガソリンスタンドでアルバイトをしながら、吉田さんは市内で開かれるイベントの手伝いをして過ごしました。去年は、ちょうど郡中地区が開かれて200年の節目の年だったため、関連イベントや市に残る五色姫伝説にちなんだお祭りなど、「地域に飛び込むため、頼まれたことはすべて引き受けた」といいます。

イベントを手伝っているうちに、郡中での暮らしが大きく変化しました。

「イベントに行くと必ず初めて会う人がいて、毎回1人2人と知り合いができます。それも、市の重鎮から大学生まで、雪だるま式に知人が増えるんですよ。京都でも自治会長をしたり、学区の運動会に参加したりはしていましたが、参加する人は限られます。郡中はイベントの数も参加する人の数も桁違いに多いんです」

▲地域のお祭りでスタッフとして活動する吉田さん(まちづくり郡中提供)

今では、まちづくり郡中から「まちづくり特命係」という肩書ももらい、先輩移住者として関西での移住フェアにも参加。6月からは、市内の片親の子供向けに開かれる学習支援や相談の場で、ボランティアスタッフとして子供たちの話し相手としても活動を始めるそうです。

観光協会に就職するきっかけも、イベントで広がった人脈を通じてでした。紹介された人を訪ねたところ、補助職員の公募の話を知り、吉田さんに「受けてみないか」と声をかけてくれたそうです。

もっと伊予市の観光にかかわりたい

観光協会に就職して約2か月。市山間部にある中山地区を担当し、ホタル祭りや夏祭りの準備に追われているといいます。職員はわずか3人。市内各地で開催されるイベントに対応するため、新人の吉田さんも大きな役割を担います。

過去の資料を見ながら円滑なイベント運営のために奔走する一方、「既存のイベントだけではなく、もっと伊予市の観光にかかわりたい」という気持ちが膨らんでいるそうです。

「伊予市には観光地としてのポテンシャルがあると思います。でも、それが『見える化』されていないんです」

たとえば、市内の地図を頼りに歴史遺産をめぐったところ、看板がなかったり、道が途中で途切れたりしていたため、たどり着けたのは地図に掲載された3分の1程度。自宅から近い伊予港はきれいな夕日を眺めることができるお気に入りの場所ですが、市外から訪れる人はほとんどいません。「ベンチや街灯があるだけで雰囲気も変わると思う」と吉田さんは指摘し、これからの目標を語ります。

▲瀬戸内海に沈む夕日。伊予市は各地に夕日の鑑賞スポットがある

「まず1、2年は仕事を通して市内のことを知って、それからはイベント内容の見直しや、観光資源の開発や観光地整備にも取り組んでみたいですね」

郡中地区に移住して間もなく1年。これから移住を考える人に向けて、吉田さんは移住を結婚に例えて、こんなアドバイスをしてくれました。

「結婚した後に双方が変わることって、あると思うんです。移住も一緒で、自分も地域も変化していくから、先々のことをあまり決めつけて期待しても仕方がない。思い通りにいかないことやつまずくことを許容できない人は、移住には向かないかもしれません」

▲自宅周辺の移動や通勤にはロードバイクを使用。坂道の少ない郡中は自転車での移動にも適している

吉田さんの場合、思うように仕事が見つからない状況を打破してくれたのは、「地域へ飛び込むために何でも引き受けよう」と決めて臨んだイベントで、培った人脈でした。だから、実感を込めてこう語ることができるのかもしれません。

「自分がやるべきことをやっていれば、周囲の人が何とかしてくれることってあると思うんですよ」